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2010年5月

2010年5月31日 (月)

衆参議員構成比を見てみると。うふふ

鳩山政権を篭絡した官僚どもが画策していることは

     国会の条約承認権を封殺し外交案件でのフリーハンドを得る。

     予算案、法案作成を完全に官僚のコントロール下に置く。

     ほぼノーチェックでその予算案、法案を国会で成立させる。

という議会制民主主義の破壊、というより政権交代しようがどうしようが官僚主権という旧来の権力構造を維持し続けるということだろう。

そして①については普天間移設問題でほぼ達成。②③については「現実に、労働者派遣法改正についても、衆院選のときは、「製造業への派遣禁止」をマニフェストに謳いながら、政権を取った途端、それを覆して、新自由主義の委員で固めた労政審答申の諮問で官僚に法改正させている。後期高齢者医療制度も、マニフェストでは「廃止」と明記しているのに、逆に存続が決定されている。障害者自立支援法についても、マニフェストでは廃止を明言しながら、今度の国会では「応益負担」を延命させる法改正に動き、自公両党と歩調を合わせている。」(世に倦む日日 「言葉に責任を持つ政治 - 国民の一票で普天間に決着をつけさせろ」より引用「山を動かせ、福島瑞穂 - 旋風を起こし、党を改造し、みずほ劇場せよ」もご参照ください)

その他、取調べの全面可視化法案を提出しない、消費税を参議院選の争点にすべしという仙谷大臣の発言などなど、かなりの進捗が見られる。

これに対し政権離脱を果たした社民党の目標は「辺野古移設の閣議決定を撤回させ、そのことを通じて国会の行政府チェック機能を取り戻し、憲法に規定する議会制民主主義を確立する」ということになるだろう。

そこで社民党のおかれている現状を見てみると

強み

連立政権離脱により社民党は今国会での明確なキャスティングボードを得た。

参議院院内勢力2010511日現在 定員242(欠員1)

民主党(115)・国民新(6)・新党日本(1) 122名。2名欠けるだけで過半数を失う。(ウィキペディア参議院議員一覧参照)

沖縄出身の民主党比例区議員 喜納 昌吉氏、新党日本議員 田中 康夫氏、ともに「527普天間問題緊急声明」に賛同した与党議員として名を連ねている。この他ざっと数えると参議院議員でこの緊急声明に賛同した民主党議員は選挙区22名比例区9名にのぼる。

衆議院は連立政権で480名中三分の二以上320名だったが社民党が抜け313名となり、参議院で法案が否決されても再議決が不可能となった。(ウィキペディア衆議院議員一覧参照)

この強みを社民党は今国会、参院選へどう生かすのか、それとも生かせないのか。福島みずほ社民党代表はジャンヌ・ダルクとなりえるか。

弱み

・社民党内部は一枚岩か。昨日のNHKニュースで阿部 智子議員が連立離脱への強い不満をぶちまけていたが、党内結束を固められるかどうか。

・少数政党なので、民主党が他の政党との連立、政界再編を画策すると影響力が失われる。参院選でどれほどの議席増を確保するかが鍵となる。

機会

沖縄県民の思いに呼応する形でいろいろな動きが出てきている。これら民の声がどれだけ高まり社民党を後押しできるか。社民党はどう応えてゆくか。

523日(日)岩国大集会(井原勝介ー草と風のノートー 岩国大集会の成功」参照)(池田香代子ブログ 「スービック米海軍基地をなくした人々が指し示す希望のありか」参照)   

523日(日)米海兵隊訓練「NO」別海で全道集会(釧路新聞なまら北海道524

530日(日)海兵隊訓練に反対 労組など釧路で集会(北海道新聞5月31日朝刊掲載

66日(日)1330分~1530分 「学習会『どうなる?! 沖縄普天間基地』」

会場:佐倉市立美術館4Fホール( 佐倉市新町210)主催:さくら・市民ネット043-462-0618講師 保坂 展人氏 (保坂 展人のどこどこ日記 「保坂のぶと『どこどこ行脚』展開中参照)

612日(土)危険な普天間基地の即時閉鎖・撤去を!沖縄に連帯する612京都集会 記念講演 伊波洋一さん(沖縄・宜野湾市長)(Peace Media ピースメディア 危険な普天間基地の即時閉鎖・撤去を!」参照)

などなど。

脅威

・テレビは、ほとぼりが冷めれば意図的に社民党の画を流さず、自民、公明、その他有象無象が鳩山政権を批判する画ばかりを流すようになるだろう。メディアが注目せざるを得ない動きを社民党がどう作ってゆけるか。

・社民党の存在感が増せば増すほど警察、検察、特捜官僚のでっち上げ捜査による実力行使の危険が高まることは常に意識しなければならない。

政治は生き物だから何が起こるかわからないし、どう決着するかもわからない。そして、それで終わりということでもない。

僕ができることは「機会」を広げるための活動だ。議員への励ましのお便り、デモ、集会への参加、などなど。

何度も裏切られてきた民主主義を取り戻すという希望。過大な期待は抑えつつも、何らかの形で関与していきたいと思う。

2010年5月30日 (日)

祝!社民党連立政権離脱

鳩山内閣普天間の辺野古移設を閣議決定した。沖縄県民は強い怒りと悲しみに震えている。鳩山総理ひいては民主党のイメージダウンは避けられない。野党は鳩山総理へ追及の矛先を向けている。誰も、鳩山総理、良くやった、とは言わない。表舞台でこの普天間の辺野古移設閣議決定を喜んでいる者は皆無である。裏でしてやったりと満面の笑みを浮かべているのは誰か。もちろん、アメリカとその意をうけた官僚である。そして利権に預かる面々も。

アメリカは自国の軍事戦略に、金は出させるが口は出させないという事実上の植民地主義を固守することができた。

アメリカの意をうけた官僚は、鳩山総理の機密事項を盾に国会での答弁を拒むという発言により、国会の条約締結承認権限の事実上の封殺を温存した。条約承認について外務省官僚がどのようにひどい憲法解釈をして国会の憲法上の権限を封殺してきたかは前回のエントリーに書いた。 

外務省官僚が外交関係で何の制約も無しに好き勝手ができ、それを国会も国民もチェックできないという、まさに密約し放題の制度が継続された。そしてもっと悪いことに、防衛省の海外事案も国会、国民がチェックできない、シビリアンコントロールが効かないという重大な事実が新たに容認された。官僚どもの高笑いが聞こえる。

この普天間問題の根っこには、外務省、防衛省の公権力行使を国民が適切に制限するという、日本の民主主義、「民が主(あるじ)なんだぞ主義」、が全く無力化しているという非常に重大な問題が隠されている。そして、この民主主義の無力化から、日本の安全保障、抑止力の具体的な中身は曖昧にされ続け、「在日米軍が必要なのかは良くわからないけど(思考停止)、自分が実際に被害を被るのはごめんだから、とりあえず沖縄に押し付けておこう」という表には出ない、しかし、強烈な影響力のある沖縄への差別意識が深く日本人の意識に根を下ろすのではないだろうか。そしてこれは他の差別構造にも同じようにいえることではないのか。

このように考えると、この民主主義の危機的状況、無意識に差別を助長する構造に真っ向からノーを突きつけたのが福島党首であり、「527普天間問題緊急声明」に賛同した与党議員180人だと僕は思う。大変平易に冷静に述べられている異議申し立ての言葉に、国会、国民のチェック機能を回復せよという深い意味が隠されていると、僕は思う。

祝!社民党連立政権離脱。マスコミは鳩山政権への攻撃材料としてのみ上滑りの議論に終始するだろう。しかし、民主主義のやり直しのために、社民党及びまともな民主党の議員の皆さんが国会の場での真っ当な議論を喚起するためにがんばって欲しい。そのために、再び、議員への励ましのお便りを出そうと思う。又、まともな国会議員を応援するために、関わりのある団体へも何らかの行動を起こすことを提起しようと思う。村野瀬玲奈の秘書課広報室でも「福島みずほ大臣罷免について鳩山由紀夫政権への抗議の声」をはじめたようだ。

まだ、あきらめるわけにはいかない。

2010年5月28日 (金)

普天間問題 今こそ直接行動だあー!!!国会議員におてまみでも書いてみませんか

 国会会議録検索システムというサイトがあってこんなものを見つけた。

日米安全保障条約締結直前、岸信介に食って掛かる、「爆弾男オカッパル」の異名をとった岡田春夫議員の発言。

「衆 - 日米安全保障条約等特別委員会 21 昭和350420

○岡田委員 ロバートソンは、極東担当国務次官補当時、このように発言しております。「中国ならびに台湾にたいして現在米国がとっている政策の核心は……中共と相対して常に軍事行動に出ることのできる態勢をもっておどしつけ、そのうちに中共に内部崩壊が起こるのを待つ、ということである。……われわれは、中国を取り巻く諸民族が、われわれの支援の下に、中国の共産地区にたいして、いつかは軍事行動をとりうるようになるまで、無期限に援助を与えつづけるであろう……」なお、この政府の刊行物は、これを解説して、これについて、アメリカの国務省のロバートソン前国務次官補の言葉が引用されている。すなわち、中国を取り巻く国の一つである日本の自衛隊をたくましく育て上げ、われわれの支援のもとに、軍事行動をとり得るようにすることが必要である、このように言っているのだ。」

岸は岡田春夫議員の舌鋒鋭い追及をのらりくらりとかわすわけだ。中共を北朝鮮に変えれば今でも通用するのではないかと疑いたくなるような内容だ。

こんなのもある。

「衆 - 外務委員会 - 18号 昭和440509

○高島説明員 ちょっと御説明いたしますと、国会の御承認をいただく対象になりますものは、条約の本文ではございませんで、先生御承知のとおり、各案件の一番最初にございますとおり、「砂糖協定の締結について、日本国憲法第七十三条第三号ただし書の規定に基づき、国会の承認を求める。」という一枚の紙が承認の対象でございまして、つまり、憲法に基づきます内閣の条約締結権、そういう締結の行為について国会の御承認をいただくわけであります。したがって、これに付随してございます協定の本文及びそれの正文その他はすべて資料でございます。承認の対象となるものではございません。」

高島益郎は外務事務次官から最高裁判事に上り詰めた官僚中の官僚だったようだ。そして高給官僚のこんなふざけた憲法解釈が堂々とまかりとおってきたわけだ。このふざけた憲法解釈にもとづけば密約など無いというのはある意味本当だということになる。全ては内閣で、実体としては官僚が国会の制約を受けずに何でも好き勝手にできるということだ。

 

 そして、現在。

鳩山総理大臣が5月4日「学べば学ぶほど」抑止力が必要だといった。

5月11日の国会環境委員会において、機密情報なので学んだ中身は必ずしも今ここで申し上げることができないと答弁した。国会議員にさえも明かせない機密?日米安保から50年。政権交代しても何にも変わっていないじゃないか。

 そこで僕は以下の趣旨で、何人かの国会議員に始めて手紙を書いた。もちろん、実名で、失礼のないように丁寧な文面でだ。

1.基地周辺住民の生命、身体、安全といった最も重要な基本的人権を制約する「公共の福祉」(憲法21条)すなわち「日本の安全保障」や「抑止力」の必要性、というものがあるとすれば、その内実こそが沖縄県民、徳之島住民、さらには国民全体に説明されるべきだ。

2.さらにいえば、毎年3万人以上の国民が自殺に追い込まれ、多くの国民が憲法25条に規定される生存権を侵害されているにもかかわらず、なお年間5兆円弱を自衛隊維持に費やし、在日米軍基地維持のために、これも年約4,700億円の税金投入と土地使用を認めている。それほどの税金をつぎ込まなければならないほどの軍事的脅威と抑止力の内実も明かされるべきだ。

3.内閣が機密扱いを盾に説明をしないならば、国権の最高機関、条約の承認権、予算案の審議議決権を持つ国会においてこそ、思いを一にする議員が手を取り合い、「日本の安全保障」「抑止力」の内実を明らかにし、国民的議論を喚起すべきだ。

社民党議員からは直ちに反応があった。まさか直接議員御本人から電話を頂けるとは思っていなかった。民主党の議員からは丁寧な返信の封書を頂いた。

共産党はあろうことか、ヨリニモヨッテ極右反動勢力と青姦したので相手にする気はさらさらなかった。法案提出権もない小所帯でいつまでもしこしこマスでもかいておればいいのだ。

今日は、日米共同声明が発表され、社民党の政権離脱をめぐり緊迫した1日になりそうだ。福島党首には信念に従って是非がんばって欲しいと思う。しかし、政権に残ろうが離脱しようが、今日で決着ということにはならないだろう。してはいけない。僕は閣内でも国会でも、もっと揉めに揉めて欲しいと思う。期限を守らなかった、迷走した、選挙が近いのにどうしてくれる、などと言う矮小化された議論に終始することなく、大混乱の中からでも軍事力に頼らない日本の安全保障のあり方が見えてくるなら万々歳ではないのか。この50年間日本の国民は国の根幹を成す最も重要な事柄からつんぼ桟敷に置かれてきた。高度成長で明日に希望が持てる時代、国のあり方に無関心でも全然心配の無い時代ではそれで済んだのかもしれない。しかし、そんな時代はとっくに終わってしまった。一歩間違えばあっという間に貧困の奈落に叩き落される、そんな不安な時代に生きながらなお、国のあり様を、機密の暗闇に逃げ込んで勝手に決められることに、僕は我慢がならない。

だから、今こそ直接行動を起こすべきだと思うのだ。直接行動といっても、何も過激な行動をとろうというのではない。国会議員におてまみを出すのだ。

国会議員の住所はウィキペディア「衆議院議員一覧参議院議員一覧」で自分の在住する選挙区なり、沖縄、鹿児島の選挙区なり自分が好きな議員なり、お好みで選ぶ。民主党議員なら民主党のHP 「Who’s who」を使えば議員会館の部屋番号もわかる。社民党は本人のブログ、ホームページに住所が出ている場合があるし、「村野瀬玲奈の秘書課広報室の「秘書課広報室」の国会議員名簿の目次と使い方」も使える。

手紙を出したからといって何が変わるか、それは誰にもわからない。それでも、何か良い動きが有ればあれは自分の手紙の影響かなと自己満足の笑みを浮かべればよい。もし、事態が好転しなくても何も気にすることはない。ただ、昨日と同じ、しんどい日常が続くだけだ。職場で、地域で自分のできることをするだけだ。

何もおてまみだけが直接行動ではない。デモがあれば参加する。沿道で「がんばって」と声をかけるだけでも良い。おてまみが面倒なら、効果は落ちると思うが、メールだって良いと思う。とにかく何かしよう。

今こそ直接行動の時だ。

2010年5月27日 (木)

小沢氏起訴相当議決と郵政不正村木被告裁判証拠却下を肴に検察審査会制度を批判する

まず、昨日のエントリーを図でまとめてみる

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ここですぐに疑問をもたれる方が大部分だろう。「なぜ「刑罰権は謙抑的に行使すべしという憲法の理念や刑事司法の原則」など必要ある?憲法なんてあるのは知ってるけど、読んだこともないし、刑事司法の原則なんて初めて聞いた。それでも真っ当な市民生活を送るのに何の不都合もない。そんなものそれこそ石頭の法律屋の屁理屈だろう?悪いことしてのうのうとのさばってる奴らはいっぱいいる。そいつらを厳しく処罰するのに何の不都合がある?」

おっしゃるとおり。これが一番の問題なのだ。だがこれについては、長くなるので他の機会に詳しく書きたいと思う。「刑罰権は謙抑的に行使すべしという憲法の理念や刑事司法の原則」は大事なんだという前提で以下小沢氏起訴相当議決、郵便不正事件を例にとり、検察審査制度自体の欠陥について述べてゆく。

検察審査会法

第一条  公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図るため、政令で定める地方裁判所及び地方裁判所支部の所在地に検察審査会を置く。(下線筆者以下同)

「公訴権の実行」というのだから、「起訴すべきでないのに起訴する」「起訴すべきなのに起訴しない」という公訴権の不当な行使、不行使両方に「民意を反映させてその適正を図る」のかというと、

第二条  検察審査会は、左の事項を掌る。 

  検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項

 つまり、検察の「起訴すべきなのに起訴しない」という不当な公訴権の不行使だけが検察審査会の対象だというわけだ。 

そして、検察の「起訴すべきなのに起訴しない」という不当な公訴権の不行使に対しては今回の検察審査会法の改正により強制起訴という手立てが講じられたが、「起訴すべきではないのに起訴をする」というさらに不当な公訴権の行使に対してはまったく制限が掛けられていない。

それでは、「起訴すべきではないのに起訴をする」ということは皆無で、その部分では検察の信頼と権威が絶対的に護られており、「起訴独占主義」「起訴便宜主義」を制限する必要などさらさら無いのかというと、全然そうではない。

その一端を示すのが昨日、郵便不正事件での供述調書の証拠請求が裁判所却下されたという「大事件?」だ。(郵政不正事件についてはウィキペディア村木 厚子参照)

以下産経ニュース調書採否決定要旨より引用する。

産経ニュース【郵便不正】調書採否決定要旨 「取り調べに問題、調書に信用性があるとは」2010.5.26 22:26

■前提事実

 各証人の調書は、いずれも大阪地検特捜部が黙秘権を告知して被疑者として取られた。取り調べ時のメモは廃棄されていたが、これが検察側の不適正な取り調べを推認させるものとはかぎらない。

 ■厚労省元係長、上村勉被告

 検事は関係者の供述内容からストーリーを描いて取り調べに臨んでいた。被告の被疑者ノートには「自分1人でやったといったのに検事から『人間の記憶には限界がある。私にまかせて』といわれた」という記載があり、被告の公判供述と合致する。

 検察側は被疑者ノートについて(1)なかったことを書いた(2)後から書き加えた不自然な部分があった-と指摘するが、被告は身柄拘束の当時から懲戒免職を覚悟しており、保釈後に書き加えたとも認められない。

 従って、取り調べはあいまいまたは一面的な証拠評価で誘導された可能性があり、調書は被告の意思に反する内容が記載されたことになる。取り調べに問題があり、調書に特別な信用性があるとは認められない。

引用終わり

 これに対して、「弘中弁護士は「まかり通ってきた検察、特捜のやり方を具体的に厳しく批判した」と評価した。」(障害者郵便割引不正:供述調書不採用 弁護側「無罪を実感」 検察、敗北感にじませ 毎日新聞 2010527日 東京朝刊

 しかし、上述の要旨にあるように、裁判所はこの件に限って「調書に特別な信用性があるとは認められない」から検察側の証拠請求を却下しただけで、「まかり通ってきた検察、特捜のやり方を具体的に厳しく批判した」訳ではないのである。この裁判で無罪判決が出て(当然そうなるべきだが)検察が控訴した場合、控訴審で今回却下された証拠が採用され、有罪判決が出る可能性はまだあるのだ。まだまだ村木 厚子さんの前途に苦難が待ち受けている可能性はあるのだ。そうならないことを心から祈っているが。それほど、日本の刑事司法制度は腐りきっているということだ。

日本の刑事司法の問題点、代用監獄や人質司法、密室での長時間の取調べ、接見交通権の侵害、そしてこれらの仕組みによって捏造される自白調書の裁判での偏重など、国連拷問禁止委員会が改善勧告さえ出しているのに、指摘されている警察や検察・特捜の捜査や取調べのあり方全般に対しては、裁判所は相変わらず、見て見ぬ振りを決め込み、警察、検察は無視を決め込んでいると見たほうが良い。   

そして、検察にはそんな問題点はあり得ませんという前提、建前で「公訴を提起しない処分」に関しては「民意」は反映させてやるが、「公訴を提起する処分」に関しては絶対に口出しさせない、というのが現在の検察審査会制度だ。

こんな制度、世界中捜したってどこにもない。と思う。ちなみにアメリカでは予備審問という制度で起訴をする、しないの両方が公開の場で裁判官により判定される。だから、検察審査会制度自体が、世界にも類例が無い、それ自体がまったくの片手落ち、半身壊死の欠陥制度であることは明白であろう。

ちなみに、「起訴すべきではないのに起訴をする」そして結果、裁判で有罪とされてしまった冤罪事件は菅谷さん足利事件だけではない。ウイキペディアで「冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件」をみてみるとびっくり仰天するほどの件数がある。

また「違法」捜査 志布志事件「でっち上げ」の真実」 「リクルート事件・江副浩正の真実」 「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」 などなど、警察、検察、特捜の悪行三昧で自白調書がでっち上げられる過程を暴露する書物が続々と刊行され、これが個別特殊な事例ではなく警察、検察の構造的な腐敗システムによることは一目瞭然だ。

それでは、現行の検察審査会が検察の「起訴すべきなのに起訴しない」という不当な公訴権の不行使にたいして、適正、有効で正しい議決が常に担保されているかというと、これまた全然そうではないのだ。

まず第一点目。

第二十六条  検察審査会議は、これを公開しない。

第四十四条  検察審査員、補充員又は審査補助員が、検察審査会議において検察審査員が行う評議の経過又は各検察審査員の意見(第二十五条第二項の規定により臨時に検察審査員の職務を行う者の意見を含む。以下この条において同じ。)若しくはその多少の数(以下この条において「評議の秘密」という。)その他の職務上知り得た秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

となっている。だから一体どんな議論過程をたどって不起訴相当、不起訴不当、起訴相当の議決をされたのかは誰にもわからない。そして、その秘密の評議でなにが行われるかというと、

第二点目

第三十五条  検察官は、検察審査会の要求があるときは、審査に必要な資料を提出し、又は会議に出席して意見を述べなければならない。

第四十一条の二  第三十九条の五第一項第一号の議決をした検察審査会は、検察官から前条第三項の規定による公訴を提起しない処分をした旨の通知を受けたときは、当該処分の当否の審査を行わなければならない。

ええ?!検察審査会が要求しなければ検察官は資料提出も意見を述べることもしなくて良いということー?しかも検察審査会が起訴相当議決をした後、検察官が再び不起訴処分をした場合はその旨を通知するだけで足りるのー?然り、この処分に対して行われる審査会に対して必ず資料提出、説明をしなければならないとはどこにも書いていない。

しかも検察官は「審査会の要求に応じて」資料を提出し説明するだけなので、審査会メンバーの先入観や固定観念がその「要求」入り込む余地は大きいし、検察官の思惑により資料提出や説明が行われるという恣意的な操作も排除し切れない。ようするに審査会のメンバーや審査補助員の弁護士が処罰感情に凝り固まっていれば、検察官の資料や説明など無くても、起訴相当の議決が論理上可能なのだ。また、検察官も絶対に起訴をされたくない場合はそれに沿った資料の提出と説明をすればよく、逆に、どうしても証拠が固まらず起訴できないときでも、その限界を超えてなんとか市民の皆さんで起訴してくださいというニュアンスでの資料の提出と説明が可能だということだ。

さらに第三点目、最も重大な、憲法違反が強く疑われる明らかな制度欠陥。

第三十七条  検察審査会は、審査申立人及び証人を呼び出し、これを尋問することができる。

検察の不起訴処分に対して強制起訴が行われる場合、最も不利益をこうむるのは被疑者だ。しかし、この被疑者に対しての起訴相当議決を出す前の「告知と聴聞」を義務付ける条文は見当たらない。これは明らかに「告知と聴聞」による適正手続きを規定する憲法三一条に違反する「酷痴と醜聞」にあふれた違憲な制度だ。

日本国憲法 第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

憲法第三版P222~P223 芦部信喜著

第一一章人身の自由 一基本原則 2適正手続き 

「(1)憲法三一条の意義

三一条は、法文では手続きが法律で定められることを要求するにとどまっているように読める。しかし、それだけでなく、①法律で定められた手続きが適正でなければならないこと(たとえば、次に述べる告知と聴聞の手続き)、②実体もまた法律で定められなければならないこと(罪刑法定主義)、③法律で定められた実体規定も適正でなければならないことを意味する、と解するのが通説である。」

「(2)告知と聴聞

 三十一条の適正手続きの内容としてとりわけ重要なのが、「告知と聴聞」を受ける権利である。「告知と聴聞」とは公権力が国民に刑罰その他の不利益を課す場合には、当事者にあらかじめその内容を告知し、当事者に弁解と防御の機会を与えなければならないというものである。この権利が刑事手続きにおける適正性の内容をなすことについては、すでに判例も認めている。」

以上、「起訴すべきなのに起訴しない」という局面に限っても検察審査会制度は、違憲の疑いが強い、重大な欠陥を内包する制度だと判断せざるを得ない。

そして、この制度的欠陥が、小沢氏の起訴相当議決のように不当に処罰範囲を拡大し、不起訴の議決が妥当であるにもかかわらず、「起訴すべきでないのに起訴をする」という議決、冤罪を誘発する可能性をいとも簡単に現実化してしまうのである。

むろん、個別のケースにおいて、「起訴すべきなのに起訴しない」という不当な公訴権不行使をきちんとチェックしているものもあるだろう。

明石花火大会歩道橋事故については「警備計画作成段階にまでさかのぼらないと事実関係は理解できず、過失の把握について当日の過失のみに限定はしない。これまでの警察や明石市、警備会社担当者の刑事裁判で、検察官が当日の注意義務違反のみを訴因とし、当日の過失のみが裁判の対象となっている点は理解できない。」(さんようタウンナビ明石花火事故の議決理由要旨参照)とされ、警備計画作成段階にさかのぼった上での過失判断には説得力があると僕は思う。

しかし、JR福知山線脱線事故の場合は「JR西管内に多数存在するカーブのうちの一つにすぎないのではなく、特に危険性の高いカーブとなった。従って、代表取締役社長だった3人には現場が危険性の高いカーブであったとの認識があったと考える。」(47NWES神戸第1検察審査会の議決要旨参照)とされているが、なぜ「特に危険性の高いカーブとなった」ことが直ちに「認識があったと考えられる」につながるかが判然としない。認識があったことを示す具体的な証拠があるのだろうか。これで刑事責任を問われ法廷に引きずり出されるという負担を負わせられることには僕は懐疑的にならざるを得ない。たとえ結果の重大性や被害者、遺族の無念を考えても、だ。

さらにこの検察審査会という制度の、将来最も危惧される事態を述べておく。

まず強制起訴を食らった被疑者は、検察審査会が「告知と聴聞」の制度を持っていない違憲な制度だとして検察審査会の議決の違憲無効を求める行政訴訟を提起する可能性がある。逆に審査申立人は、検察審査会が不起訴の議決をした場合、検察審査会は検察の不起訴処分に対しての不服申し立てとみなせるから、不服申し立て前置を原則とする、検察の不起訴処分に対する行政訴訟を提起できる可能性がある。かなり狭き門だが。

どっちにしても、理論的には、訴訟が乱発され、ものすごい手間とコストをかけて、裁判によって起訴、不起訴を決めるということが起こりかねない。そして、ものすごい手間とコストのかかる、アメリカの予備審問制度とは似て非なる、エセ予備審問制度に限りなく近付いてゆくことが危惧される。

これはどういうことかというと、検察の不起訴処分については「民意」を反映した予備審問制もどき、起訴処分については、冤罪や自白の強要などものすごい問題があるのに放置して、検察の起訴独占主義、便宜主義を維持するという、根本理念が全然違う制度をむりやり接合したキメラのような化け物ができたということだ。どういう理念でどういう刑事司法制度を採るべきなのかという根本的な議論がおざなりにされ、検察の起訴独占主義、起訴便宜主義に「民意」を騙った予備審問制度もどきが接木された非常に日本的な曖昧模糊とした薄気味悪い制度だということだ。 

だから僕はこんな制度はまず廃止して、取調べの可視化も含め、どういう刑事司法制度を採るのかを徹底的に議論するのが先だと思う。だからこの検察審査会という制度をどういじくりまわしても対処療法にしかならない。冤罪を誘発するのではないか、不当な不起訴の議決が出るのではないか、違憲訴訟が乱発されるのではないかという懸念は払拭できない。問題が後から後から出てくるんじゃないかと思う。

対処療法としてとりあえず改善策を挙げるとすれば

・起訴相当議決をする場合は必ず被疑者に告知と聴聞の機会を設ける。

・検察官の資料提出、説明は義務化する

・少なくとも被疑者や審査申立人には、審査会の面々の匿名性に配慮しつつ、また、当事者のプライバシーに配慮しつつ議事録や評議の録音録画を公開する。

・憲法の基本理念、刑法の基本原則を学ぶ講習を法定し、検察審査会のメンバーに受けさせる。この講習内容も必ず公開し法定した講習内容をきちんと教えなかった、習得しなかった場合の検察審査会議決は無効とする。

くらいかなあ。

僕のような検察審査会は廃止しろ、などという素人の暴論?はさておき、もっと常識的に誠実な論理を展開されているブログがあるので紹介しておこう。

法と常識の狭間で考えよう「検察審査会制度の改革と今後の課題」また同じブログの「刑事事件における最高裁判所の役割について考える」も昨日のエントリーで述べたスワット事件について述べられているので是非ご参考にしていただきたい。

さらにBecause It's hereというブログでも今回の小沢氏起訴相当議決に対して非常に詳細多岐にわたる批判を加えているので是非参考にしてもらいたい。「小沢一郎氏「起訴相当」と議決、陸山会事件で検察審査会~検察審査会は「陶片追放」制度と化してしまったのでは?

最後に今日のまとめを図示しておく。

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2010年5月26日 (水)

「共謀共同正犯」小沢氏起訴相当議決でどうしても付け加えたい視点

小沢氏に対して検察が再び嫌疑不十分で不起訴処分を下した。2度目の検察審査会の議決が注目されるわけだが、2度目の起訴相当議決が出れば瀕死の日本の民主主義は息の根を止められる。その理由は第一回目の検察審査会「起訴相当」議決要旨に如実に現れている。その理由をこれから書いてみたいと思う。

第一回目の検察審査会議決の不当さ加減には法律の専門家である郷原信郎氏が「検察審査会の「起訴相当」議決について...とんでもない議決、あぜんとした」で、 付け加えて強調しておきたいことはこの小沢氏に対する起訴相当議決の要旨に述べられている「共謀共同正犯」という概念がいかに危険なものであるかということである。

憲法学者上脇博之氏が「検察審査会の小沢一郎「起訴相当」議決には2度驚いた!」「小沢一郎「起訴相当」議決と自称「審査申立て人」についての追加的雑感」に的確なコメントを述べているので僕のような素人の多言は不用であろう。

そもそも共謀共同正犯という概念は刑法にも明文化されていない。

(共同正犯)刑法第60条 2人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

(下線筆者以下同)

「実行」ですよ「実行」。しかし、実際に犯罪を実行しない黒幕的存在を処罰しないのは不当だ、「共謀」の事実があれば実行者と同じく黒幕をも正犯として処罰するのが妥当だ、ということで判例で認められてきたのが「共謀共同正犯」という判例法理である。明文法がなく単なる判例法理なので、共謀を認めるにあたっては誰がいつどこでどんな謀議を凝らしたかを明らかにする「厳格な証明」が以前は必要とされた。

「共謀共同正犯が成立するには、二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よって犯罪を実行した事実が認められなければならない。」最高裁大法廷判決(練馬事件)1958年(昭和33年)528

「共謀は、実行行為に準ずる罪となるべき事実にほかならずこれを認めるためには厳格な証明によらなければならない。」新版刑法講義総論P457 大谷 實著

小沢氏の件でいえば小沢氏が大久保秘書や石川議員に「偽装しなさい」と指示した明白な直接証拠、つまりその指示のメモとか「小沢氏がそういう指示をしました」との当事者の供述だとか、「そう指示しているのを聞きました」という第三者の証言がなければ「共謀」の事実は「厳格な証明」に耐えることはできなかった。あの判例が出るまでは。

その判例こそが「共謀」の概念を「黙示的意思連絡があれば足りる」と一気にがばーっとおっぴろげた、上脇博之氏が「小沢一郎「起訴相当」議決が援用した「判例」とはこれか!?」で指摘したスワット事件(最高裁第一小法廷2003年(平成15年)51日決定)である。

今回の議決の要旨によれば

1 直接的証拠

 (1)04年分の収支報告書を提出する前に、被疑者に報告・相談等した旨のBの供述

 (2)05年分の収支報告書を提出する前に、被疑者に説明し、了承を得ている旨のCの供述

が挙げられているが、スワット事件以前の「厳格な証明」を求める判例法理では「被疑者に報告・相談した」「被疑者に説明し、了承を得ている」という事実では全然足りない。「報告、相談、説明、了承」の中身が「偽装を指示した」という内容だったことを証明する具体的な証拠こそが直接証拠であるべきなのだ。

もし、議決の要旨が言うように単に「被疑者に報告・相談した」「被疑者に説明し、了承を得ている」という事実を直接証拠(この的というのも誤魔化しの雰囲気ふんぷんだな)といえるとすれば、これは「共謀」の概念を「黙示的意思連絡があれば足りる」へと拡充した、スワット事件の判例法理を根拠にしなければ成り立たないのだ。

 そもそもこのスワット事件判例は「共謀」の概念を「黙示的意思連絡があれば足りる」ということにガバーッと広げたことで「共謀」の概念が広がりすぎると、法律「業界」では喧々諤々の物議を醸した判例だ。ただ「共謀」概念は拡げるけど処罰対象は暴力団組長に限定しますよというのが唯一の正当化の屁理屈だった。

そしてこの屁理屈判例を根拠にする限り検察が起訴処分を出すことはありえない。検察が再度不起訴処分にしたのはあったり前のコンコンチキなのだ。検察は「共謀共同正犯」の対象を反社会的な暴力団組長からいやしくも選挙で選ばれた国会議員に拡げることはできない。なぜなら屁理屈判例に拘束されるからだ。すると「共謀」には旧来の「厳格な証明」が求められる。そして「共謀」の事実を示す直接証拠、「偽装を指示した」ことを示すメモも供述も石川議員、大久保秘書の逮捕、強制捜査でも得られなかった。だから不起訴にせざるを得ない。

しかし、このスワット事件の判例が「共謀」の概念拡張の根拠にする、処罰対象の限定という縛りをいとも簡単に何の躊躇もなくぶち破ったのが、唯一の立法機関たる国会でも、最高裁判事でも、法務官僚でも、検察官でもなく、なんと、くじで選ばれただけの「善良な市民」11名と審査補助員の弁護士だったのだ!!ひょえー。甘く見てはいけない。この議決は実はものすごい破壊力を秘めているのだ。

そもそも刑法にも明文化されていない「共謀共同正犯」なるものが判例法理として認められて良いのか、「罪刑法定主義」に反するのではないか、ちゃんと法制化すべきではないのか、という議論はずっと前からあった。

しかし、法改正も検討されたがいろいろ揉めた末に日の目を見ず、その間、裁判所がせっせと裁判例を積み重ねて既成事実化してきたというイワクツキの判例法理なのだ。

改正刑法草案

1974年(昭和49年)529日、法制審議会総会で決定された改正刑法草案は、その272項に共謀共同正犯を定める。なお、改正刑法草案は、様々な批判にさらされたため、立法化には至っていない。

(共同正犯)

27条 二人以上共同して犯罪を実行した者は、みな正犯とする。

2 二人以上で犯罪の実行を謀議し、共謀者の或る者が共同の意思に基づいてこれを実行したときは、他の共謀者もまた正犯とする。(ウイキペディア「共謀共同正犯」参照)

さらにあの悪名高き「共謀罪」が議論されたとき、共謀罪の賛成者が持ち出した屁理屈が「反対派のいう黙示の共謀の判例については、もともと、組員を支配して手足のように使いながら犯罪の実行には自ら加わらない組長を逮捕する法理として共謀共同正犯が発展してきた事を思えば、不当な拡大解釈とはいえない。それに、暴力団における、組長と組員の強固な事実上の支配関係を前提とした法理である事から、一般人への拡大は半世紀ほとんど行われていない。」(ウイキペディア「共謀罪」参照)といったものだった。この屁理屈、思わぬところから破綻しましたねー。困りましたねー。へへへへなどとせせら笑っていてはいけない。ここからが肝心。もう一度繰り返す。

最高裁や法務官僚が「「共謀共同正犯」の拡張概念暴力団の組長を処罰するためだけに認めるんですう」とせこい言い訳をせざるを得なかった限界、刑罰権は謙抑的に行使すべしという憲法の理念や刑事司法の原則によってどうしても超えられなかった限界を、マスコミ報道を鵜呑みにして処罰感情で頭をぱんぱんにし、小沢を吊るせると舌なめずりをしている、くじで選ばれたたった11人の「善良な市民」と審査補助員の弁護士先生が一気に易々とぶち破ったということなのだ。そして暴力団組長から一般人へとがばーっと広がった「共謀共同正犯」の処罰対象に対して「最高裁も法務官僚も検察もできなかったことを、やってくれたぜ「善良な市民」はよお」と世論なるものが欣喜雀躍し、これこそ「善良な市民」の「民意」だと大手を振って賞賛するわけだ。「民意」さえあれば憲法理念も刑罰権行使の原則もへったくれもねえ、そんなもの犬にでも食われちまえということだ。

ここからは僕の憶測だ。これを、もし「黙示的意思連絡があれば足りる」とした判例法理によっかかって検察官が起訴したらどうなる?検察官が「共謀共同正犯」の対象者を勝手に拡大解釈したとの非難は免れない。だからどうしても「善良な市民」の「民意」が必要だったんだ。検察自体は無傷で、なおかつ「共謀共同正犯」の対象を一気に拡大するための力、それが「善良な市民」の「民意」の正体だ。再度言うがこれは僕の単なる憶測だ。しかもこの憶測を検証する術が全く無いというのもこの検察審査会制度の特徴だ。

そして、その先にあるのは何?ここからは僕の妄想だ。もし検察審査会が再度起訴相当議決を出したら強制起訴だ。しかし、まさか裁判所がこんな無茶な「共謀共同正犯」の対象拡張を認めるわけが無い?いやいやこれは民意なのだ。圧倒的多数の「世論」が支持する「民意」なのだ。裁判員制度も導入されたことだし、裁判員裁判でなくても「市民の目線」は大事なのだ。で、小沢氏は有罪判決?最高裁まで争って、やっぱりこれは圧倒的多数の「民意」だったてことで小沢氏有罪確定、議員失職?これは単なる妄想だけど、それにしてもこれってマジすんごくヤバクね。   

国会議員は選挙で権力を信託されたこの国の国権の最高機関、唯一の立法機関の構成員だよね。それがくじで選ばれたたかだか11人の「善良な市民」と世論という曖昧な「民意」から始まって、準立法行為によって、国会議員が議員失職に追い込まれるんだよ。代表辞任とか幹事長辞任じゃないよ。役職辞任は本人が決断して決めることで誰かに強制されるものではない。議員辞職勧告決議だって国会でしかなし得ない。なのに、この「民意」が選挙で国会議員を失職させるならいざ知らず、検察審査会の議決を端緒に失職させる?これってまさしく憲法に規定された民主主義の死滅でないの。小沢氏が好きとか嫌いとかの価値判断以前の問題だ。刑事犯だから仕方がないなんて余裕かましていられるのか。「共謀共同正犯」の対象者が暴力団組長から国会議員に拡張された。次は・・・どの国会議員?次は一般市民?お前か?それとも・・・・俺か?!!

僕の妄想は止まるところを知らない。

とゆーことでそもそもこの検察審査会とかいう制度自体に重大な欠陥があるのではという疑いが起こってくる。そこで次回は検察審査会制度自体に批判の矛先を向けようと思う。

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2010年5月10日 (月)

公権力の形、憲法の規定、政権交代前の実態、現状イメージ図

まず日本国憲法が規定している公権力の形をイメージ化してみる。

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まず、「人」であれば国民であろうが外国人であろうが基本的人権(生命、身体・精神の自由、財産権など)は生まれながらに持っている。そして第一に確認しなければならないのは、この「人」は公権力を行使される側面と、公権力に対してその権利を行使する側面との二面性を持っていることである。そして国家権力の上位者としてその権力を行使する場面が、選挙であり、デモ・集会・ゼネストなどの示威行動である。

国政選挙の時には権力の主(あるじ)である国民のうち、有権者がすっくと立ち上がり国家権力を睥睨しながら投票という権力を行使する。

国家権力の行使があまりにも横暴なときは老若男女、国民、外国人を問わず「ぬおー!」と立ち上がり国家権力主体への影響力を行使する。デモやゼネストといった「人」としての権力の行使は、飼い馴らされた日本国民の間では廃れまくっているが、憲法が保障する集会、表現、思想信条の自由から当然に認められる、権力の主(あるじ)の権力行使形態である。

例えば安全基準マークのついていない電気製品の売買を禁止する電気用品安全法は「素人の乱」を主催する松本 哉氏らのデモも大きく影響し結局事実上撤回となった。

興味のある方は抱腹絶倒の快書「貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法 」をぜひ読んでみてほしい。また、松本 哉氏はマガジン9条で、これも笑えるコラムを書いているのでぜひごらんあれ。

フランスではもっとすごい。CPE(初期雇用計画)「若年層の雇用に試用期間を設けて理由なしの解雇を認めるという措置」を含む機会均等法が議会で成立したが、フランス全土のそれこそ老若男女がデモで反対し、ストを打ち、結局シラク大統領とドビルパン首相にこの措置を撤回させた。これも、興味のある方は「フランス ジュネスの反乱―主張し行動する若者たち 」をぜひ読んでみてほしい。

次に注目してほしいのは国会が国権の最高機関であり、行政府たる内閣の上位にあるということである。従って、内閣総理大臣といえども権力構造の中にあっては国会の下に位置するという視点が不可欠だ。政治主導という言葉も、官僚ではなく内閣が予算案、法案に結実する政策案立案に責任を持てということだ。これを上位の国会で審議、採決する構造が憲法の規定する国権のありかただ。だから、官僚から「学べば学ぶほど」党のマニュフェストから乖離する大臣どもを国会の最大与党が牽制するのは当たり前のことだ。小沢幹事長が、官僚にまんまと乗せられた前原の高速道路料金案に噛み付くと、すわ、「政権内のごたごた」とか「二重権力」とか的外れな批判が横行するが論外である。NEWS23Xで「小沢君は民間で、大臣は上なんだから」などと哀れな世迷い言を言いたれてた民主党の肛門様渡部恒三など、論外どころかまさしく糞である。しかし、このような認識が一般化していることは否定できず、だからこそ、憲法の規定する国家権力の形を知ることは重要だと思うのだ。

次に公権力の実際の行使であるが、最も重要なのは強烈かつ強力な実力行使である刑罰権(強制捜査、逮捕、拘留、起訴)の発動だ。この強烈な公権力の行使を日本国憲法によってどのように制限するかということは検察審理会や裁判員制度もからむ重要な問題なので、別の機会に詳述したい。

次に公権力の行使で重要なものとして教育をあげたい。学習指導要領による文部官僚の教育統制や国立大学の独立行政法人化による大学教育への統制などが問題点として挙げられると思うが、一番問題なのは立憲主義に基づく憲法を教えない、立憲主義に基づく歴史の見方を教えないということである。これについても北欧やフランスなどの例と比較しながら別の機会に詳述したい。

最後に政権交代以前の権力の形とそれを憲法に基づく形に作り直そうとする小沢氏や民主党に対してどのような官僚からの反撃が行われているかイメージ図を示しておこう。

政権交代以前のイメージ

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現状のイメージ

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2010年5月 6日 (木)

鳩山由紀夫はいったい何を「学びに学んだ」のか。

鳩山総理は「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」というのだが。一体何を「学びに学んだ」のだろう。

僕が今知っていることは簡単に言うと、

     海兵隊はいわば敵地に殴りこみをかける鉄砲玉で抑止力にはまったく無関係

     アメリカは海兵隊を海外移転することをすでに決めている

     これを歓迎するグアム、テニアンがすでに手を挙げている

     在日米軍は軍人、軍属、で約5万人近く日本に駐留しているし、わが国も毎年5兆円近く費やし総兵力約24万人の自衛隊を維持している。普天間の海兵隊を動かすだけで、この磐石にも見える安全保障体制の抑止力が崩壊するとはどうしても思えない

ということで、僕は「学べば学ぶほど」普天間移設は海外で良いと思うのだけど。

だからこそ、国会議員でもあり民主党の代表でもあり条約締結の権限者(憲法73条3項)でもある鳩山総理は「学びに学んだ」内容を、われら権力の主(あるじ)(主権者)であり「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)国民に説明する責任がある。総理が「学びに学んだ」という具体的に現存する、あるいは将来に発生しえる軍事的脅威とはなにか。それを抑止するために、どのように海兵隊が重要なのか、なぜ在日米軍を日本が抱える必要があるのか、毎年5兆円弱の自衛隊の維持が必要なのか、われら国民に詳細に説明する義務を負う。これが国民への説明責任だ。小沢氏の金の問題よりもよほど国民の安全と生存に関わる問題だ。マニュフェストに書いてある書いていないという問題ではない。日本国民の安全と生存に関わる、憲法に関わる問題なのだ。憲法の立憲主義の定義をわざわざマニュフェストに記載した民主党代表の義務なのだ。

また、国会議員は条約を締結することについて承認しなければならない。(憲法73条3項)従って「国権の最高機関」(憲法題第41条)である国会の議員、国民を代表する与党、野党の議員は、しっかり質問し、議論し、この疑問に応える答弁を引き出さなければならない。全力で、国権の最高機関として一段低い内閣総理大臣を見下ろしながら追及しなければならない。

それにしても僕のような一般人が知っていることを鳩山総理が知らないなどということがあるのだろうか。そこで、以下は鳩山総理の「学んだこと」を妄想してみる。

鳩山「普天間基地は国外移転、最低でも県外、って言っちまったからなあ。」

お取巻「いやはやお若い。そんな青臭い理想論を言っててどうするんですか。」

鳩山「だけど海兵隊はいわば敵地に殴りこみをかける鉄砲玉みたいなものだし、抑止力には関係ない。しかも在日米軍は軍人、軍属、で約5万人近く日本に駐留しているし、わが国も毎年5兆円近く費やし総兵力約24万人の自衛隊を維持している。普天間の海兵隊をちょこっと動かすだけで、この磐石にも見える安全保障体制の抑止力が崩壊するとはどうしても思えないんだがね。グアム、テニアンなど移転を歓迎する場所もあるのだし。」

お取巻「いえいえ総理は日米安保を誤解しています。海兵隊は確かに抑止力には関係ありません。むしろアメリカの軍事覇権をアジア、アフガン、中東で維持するための軍事力です。だからこそ、アメリカは自らの軍事戦略の展開や変更に日本ごときの影響力が及ぶのを断固として拒否するのです。もし日本が本気で影響力を発揮しようなどとすればアメリカはじゃあ日米安保は破棄だな、と脅す。これがまあ抑止力の崩壊です。」

鳩山「えっ、それじゃあ日本が普天間移設に口を出すだけで、アメリカの機嫌を損ない、日本の安全保障を危険にさらすというのか。確かに北朝鮮の核兵器やミサイル、中国の核兵器や強大な軍事力を考えると、アメリカの核の傘と巨大軍事力なくして対抗することはできないようにも思えるな。」

お取巻「いえいえ総理はまだわかっていませんねえ。北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んで何の得がありますか。深く経済的に結びついた中国がその関係を軍事的に破壊するなんてあり得ますか。北朝鮮や中国の脅威など国民を欺くための幻想に過ぎません。冷戦後日米安保などはすでに不要なんです。アメリカが考えるのはあくまでも自国の利益、幻の脅威のために日本を守ろうなんて鼻くそほども考えていません。アメリカが必要としているのは日米同盟なんですよ。アメリカの言いなりになる、軍事覇権戦略の兵站機能としての自衛隊であり莫大な費用の負担。これに文句を言うとアメリカは何をするかわかりませんよ。日本の安全保障の脅威、これはアメリカ自体なんです。日米同盟こそがアメリカに対する抑止力なのです。日本の安全はアメリカのご機嫌をとることで護られるのです。」

鳩山「すると、何かね、日本はアメリカの属国だと・・・」

お取巻「おお!ようやく日本の総理らしくなってきましたね。アメリカに逆らおうとした田中角栄がどうなったか、アメリカに貢ぐはずの金から1千億ドルもIMFへ融資を約束した中川元財務大臣がどんな死に方をしたか。最近では「第7艦隊がいれば十分」と発言した小沢がどんな目にあっているか。ここにいろいろ秘密資料がありますが、ごらんになりますか。密約なんかよりずっと面白いですよ。」

鳩山「ううむ、確かに日本の首都の周りにもアメリカ軍基地がごろごろある。アメリカの軍事戦略には間違っても逆らってはいけない、もし逆らえばその銃口がこちらを向く、それが日本の安全保障の最大の危機というわけだ。最大の軍事的脅威は実はアメリカそのものだということだな。しかし、なんかなんだよな。」

お取巻「さすが総理、その御賢察には恐れ入ります。ですから間違っても国外県外なんておっしゃってはいけません。騒いでいるのは沖縄県民だけ、辺野古の海に杭うちすれば知事の同意も必要ありません。いつもどおり札束でほっぺたひっぱたけば奴らは黙ります。大部分の日本人は、どれだけ在日米軍や自衛隊に金を注ぎ込んで福祉や医療を削ってもおとなしく平和に安全に暮らします。耐えられずに毎年3万人くらいは自殺しますがこれは必要な犠牲、われわれエスタブリッシュメントの面々も利権のおこぼれにあずかり平和に安全に暮らせます。それでいいじゃないですか総理。」

鳩山「そうだなあ、ま、いいかっ。」

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2010年5月 3日 (月)

勝手にタカビーに独善的に憲法を解読してみる

日本国憲法
前文
われら国民は権力の主(あるじ)であることを宣言し、その主(あるじ)を恐怖と欠乏に貶めたり、戦禍に巻き込んだりいたぶるような憲法、法令、詔勅、それに基づく公権力の行使は一切排除する。
われら日本国の権力の主(あるじ)たる国民は、全世界の国民にも同じく恐怖と欠乏からまぬかれ平和のうちに生存する権利を有すると確認し、それを実現するために努力し世界に貢献する。そしてこの努力こそが、自国の主権を維持し独立を確保するものと信じている。
現実の世界は戦乱にまみれ、わが国はアメリカの属国と化し、自国も含め多くの諸国の民が欠乏と恐怖に慄いているが、われら国民はあきらめることなく、日本国の名誉にかけ、全力でこの崇高な理想と目的を達成することをあらためて誓う。

第一章 天皇
前文にあるようにわれら日本国民は国民が権力の主(あるじ)であり、自国も含め世界中の国民が等しく欠乏と恐怖からまぬかれ平和のうちに生存すべしという崇高な理想を掲げている。そこで、天皇はこのこの憲法を尊重し崇高な理想を掲げる日本国および日本国民統合の象徴として振舞いうことにより日本国民と世界の国民から尊敬をうけよ。そのため皇室は税金丸抱えで養ってはやるが(憲法88条)、他の税金で養ってやる公僕どもとに許している公権力の行使は厳禁する。
やっていいことはここに限定する形式的な国事に関する行為のみでありしかも内閣の助言と承認がなければやってはいけない。

第二章 戦争の放棄
われら日本国民は世界の国民が等しく恐怖と欠乏からまぬかれ平和のうちに生存すべしという崇高な理想を掲げ、それを実現することこそ日本の主権、独立を守ると信じ、この理想と目的を達成するため全力を挙げると誓った。だから、公僕どもは武力を使わないでわが国を守り国際紛争を解決することに全力を尽くせ。従って、当たり前のことだが、お前ら公僕どもが国外は言うに及ばず、国内でも戦力をもって戦争をすることは絶対に許さない。

第三章 国民の権利および義務
公僕どもは国民に信託された公権力を行使してもいいが、それによって、ここに書いてある国民の権利「基本的人権」を侵害するな。

この章は一つ一つの条文を「われら国民は公僕どもに命令する。~を侵害するな。~を保障しろ」と読み替えて読むべき章だ。そうすれば、自分の経験に照らして、この国の公権力の行使がいかにわれら国民の権利をないがしろにしているか良くわかると思う。

この章で特に重要なのは
第25条生存権、国の社会的使命
①お前ら公僕どもは、すべての国民の、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を侵害するな。労働規制の破壊でワーキングプア続出なんてもっての外だ。
②なお念のために言っとくが、国の公僕ども、国会議員、大臣、国家公務員、裁判官ども、労動規制だけじゃ足りないぞ。われら国民のすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に全力で努めろ。「なお念のため社会福祉や社会保障は行政裁量に任せましょう」などという最高裁のたわごとに便乗して国民を殺しまくるんじゃねえ。
精神や表現の自由は一度破壊されると民主主義の存立基盤を破壊するから最も重要な権利だといわれている。しかし、朝から晩まで働きづめで様々な意見を吸収し、自ら意見を表明するという文化活動に接する暇もない労働奴隷や、働いてもろくに飯を食えないワーキングプア、路上や、ネットカフェに放逐された難民達にとっては選挙権だの思想・信条の自由だの表現の自由だの健康で文化的な生活など絵に描いた餅で糞でも食らえ、ということなのだ。だからお前ら公僕どもはこの第25条を最優先で全力で実現しろ。

次に重要なのは第31条~第40条にある刑事上の公権力行使に対する制限だ。刑事上の公権力の行使は最も強烈なもので、万が一にも間違っちゃいけない。下手すると何もやってないのに絞首台につるされてぶち殺されたり、ムショにぶち込まれて自由を奪われたり、罰金と称して金をむしりとられたりするんだから。さらにこの公権力の行使をのさばらせると第25条を侵害するのと同じように思想・信条の自由だの表現の自由だのがぶち壊される。例えば、公安の犬どもは、デモで人を犯罪者扱いして写真やビデオを勝手に撮るは、機動隊の糞どもは、いいがかりをつけてデモ隊になだれ込み勝手に公妨扱いして逮捕するは、集会場の公園の入り口でアクリルの盾を持った機動隊改心組(族上がりのポリ公)の小僧、入ろうとしたらガッと盾で道をふさいで睨めつけ、こっちがフフンと鼻で笑って「今日はこの公園は立ち入り禁止ですか?」と穏やかに問いかけたら悔しそうに「いいえ」と盾を引っ込める。萎縮効果抜群、お前ら、治安維持法下の特高か。というくらい実は集会の自由、表現の自由は脅かされている。
だからわれら国民はお前ら公僕どもの刑事上の公権力行使にはこれらの条文でしっかりと制限をかけて勝手な真似はさせない。

第四章 国会、第五章 内閣、第六章 司法
公僕どもは憲法前文の崇高な理想を実現し公権力の横暴を阻止するために、公権力を立法、行政、司法の三つに分割して互いに牽制しあうよう、ここに書かれているとおりに設計して実施しろ。
特に司法権の独立、裁判官の身分の保障はしっかり守ってやるから、公権力の行使がこの憲法という最低限の規範に適合しているか違憲立法審査権を駆使してしっかり審査しろ。

第七章 財政
税金を巻き上げるという公権力の行使は、刑事上の公権力行使と同じように強烈だ。だから財政の処理の権限は国民の信託を受けた国会の議決に基づいて行使せよ。
税金を取るときにもちゃんと国会で法律を決めよ。
どこの誰から税金をむしりとりどこの誰に配分するかという予算は内閣に作らせるが、この憲法に、特に第25条に適合するか国会でちゃんと審議して議決しろ。決算も会計検査院の検査結果とともに国会に提出し、国民にも財政状況を報告しろ。

第八章 地方自治
「民が主(あるじ)なんだぞ主義」を実現して国民の権利を守るためには、地方においても国からある程度独立した団体を作り、その団体を住民の参加と意思に基づいて運営することが不可欠だ。
だから地方公共団体にも議会を設置し、地方公共団体の長も住民が直接選挙することにする。ここで間違っちゃいけないのは、地方の議員、知事、市長、村長、役人どもも税金で食わせてやる公僕でありその公権力の行使はこの日本国憲法によって当然制約されるということだ。

第九章 改正
この憲法はわれら国民が権力の主(あるじ)として公権力の行使に縛りをかける根本規範だ。命令書だ。だから公僕どもに都合の良いようにやすやすと改正はさせない。だから改正には両議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し国民投票で過半数の賛成を得られなければだめだ。

第十章 最高法規
この憲法はわれら国民が権力の主(あるじ)として公権力の行使に縛りをかける根本規範だ。命令書だ。そのことを最後にもう一度ダメ押ししておく。
この憲法で保障される日本国民の権利は例えこの憲法がなくても保障されるべき永久不可侵の権利だということを公僕どもは肝に銘ぜよ。そしてこの憲法は国の最高法規であって、これに反する法律、命令、詔勅その他一切の公権力の行使は無効だし、天皇も含め税金で養ってやる公僕ども、国、地方を問わず議員、大臣、公務員、裁判官どもはこの憲法を全力で尊重し、擁護しろ。

第十一章 補則
省略

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憲法ってなんだ?

 小沢一郎という人物。「政治が歪める公共事業―小沢一郎ゼネコン支配の構造 」という本はずいぶん前に読んだし、週間金曜日でも確か特集していた。かなりのワルのようにも見えるが実に興味深い人物だと思う。なぜかというと、小沢氏の言動には憲法について考えさせられることが多いからだ。
 小沢一郎氏のことばで印象に残っているのは「日本に議会制民主主義を確立する」とか「国民が主権を行使するのは選挙しかないんだから」とか。
 それじゃあ小沢氏の言っている議会制民主主義ってなんだろう。確か憲法にその形が書いてあったような。国民主権、これも確か憲法前文に書いてあった。
 小沢一郎氏は憲法を念頭においているのだろうか?官僚主導から政治主導というのも憲法を読めばもっと理解できるのだろうか。
 高速道路料金の法案について、政権内のごたごたとか、小沢氏と前原大臣の確執とか、鳩山総理がまたぶれた、とか面白おかしくはやし立てられているが、憲法が規定している議会制民主主義から見るともっと別の見方ができるのではないか。
 小沢氏の収支報告書記載漏れ事件について検察審査会が「起訴相当」としたが、これは憲法から見るとどう理解すべきなのか。
 今日は憲法記念日だ。いろんなことをあれこれ書く前に、まず日本国憲法について書いてみよう。
 そもそも憲法って何だろう。あまたある法律と何が違うのか。答えは、意外や意外、本当に憲法を尊重する気があるのかと疑っちゃうような、腰抜け、へたれ、腑抜け、へっぴり腰の民主党のマニュフェストの最後に恥ずかしそうに載っている。
「憲法とは公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」というのが近代立憲主義における憲法の定義です。これだけじゃ、なんだかよくわからないね。
 まず「公権力」とはなんだろう。
 僕は「権力」とは思いを現実化させる力、「公権力」とは税金で食わせてやってるやつらが思いを現実化させる力だと思っている。
 それじゃあ「公権力」の行使を制限できる、より偉そうな、「主権者」って誰だ。つまり「権力の主(あるじ)」とは誰なんだろう。天皇?戦前はそうだった。戦後は国会議員の先生方?高給官僚ども?いやいや日本国憲法前文にはっきり書いてある。「主権が国民に存する」と。つまり「権力の主(あるじ)はわれら国民である」と。
 ここで「民主主義」というなんだかわかったようなわからないような言葉もはっきりする。「民が主(あるじ)なんだぞ主義」ということだ。
 じゃあ「憲法とは主権者たるわれら国民が定める根本規範」なんだな。そしてその目的は「公権力の行使を制限する」ことなんだな。
 じゃあ、「公権力の行使」ってなんだろう。
 これはいくらでもイメージできる。われら国民から税金を巻き上げたり、われら国民のこいつには生活保護つけるけどこいつには申請もさせねえほざいたり、われら国民に向って、てめえこれやったら金むしりとるぞ、ムショにぶち込むぞ、ぶっ殺すぞ、と命令し、従わなければほんとにやる。ざっくり言うとこれが公権力の行使だ。ほかにもいろいろあるけどね。
 つまりだ、われら権力の主(あるじ)である国民は国民の思いを現実化させる力「権力」を国会議員に信託し、税金で養ってやってる。この国会議員が法律を制定し、これも税金で食わせてやっている行政府の公僕どもが、この法律をたてにあれこれわれら国民に指図するわけだ。われら国民はこの「公権力」の行使は認めるけれども、奴ら公僕どもは往々にして図に乗って「公権力」を行使される側に回った権力の主(あるじ)である国民をいたぶるから、最低限これだけは、「基本的人権」だけは絶対守れよと公僕どもに縛りをかける命令書、「公権力」が横暴を働かないように設計された「公権力」のありかたの基本設計命令書、これが憲法なんだな。
 民が有象無象の虫けらとしか思っていない戦前大好き議員どもや高給官僚どもが、現実は俺達が主(あるじ)なんだからその現実に合わせて憲法を改正しましょうと画策するのにも合点がいくわけだ。
だから、自分の努力だけでは手に負えないことに対して「自己責任」という奈落の底に突き落とされる前に、高い税金で養ってやってる公僕どもには責任はないのか、あいつら一体何をやっているんだ、という批判の眼差しを持ち続けるためにも、憲法の理解は欠かせない。一度ゆっくり日本国憲法を読んでみよう。
日本国憲法

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