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2010年7月

2010年7月31日 (土)

国政をせせら笑い、地方行政を手玉に取ろう。国民が主権を行使できるのは選挙だけだと言った、小沢一郎氏に一泡吹かせてやろう。

賤しい、浅ましい、疎ましい、恥かしい。
市井に生きる一人の凡人として、今の国政にはせせら笑いをするしかない。

嘘をつくな、卑怯なことはするな、弱いものいじめをするな、約束は守れ。

子どもの頃に教わった人としてあるべき基本。
お前ら大人こそがその言葉に反して卑劣な世界を作っていると思い込み、ガッコのセンコにも親にも心を閉ざした思春期、反抗期。様々な書を読み、愛や憎しみ、善や邪悪さ、正義と卑しさについて未熟ながらも、その観念を形づくった。
社会に出て、自らの信念や良心を確認しながら、それをどのように体現すべきなのかを学んできた。法制度の変更、喧伝される言説に翻弄されながらも、絶対に譲れない一線は守ってきた。
それ故、己の信念や良心に忠実な、尊敬すべき人々と出会い、友となり、仲間となった。

国政の卑しさは地方議員に直接的に反映する。市民派を自称し、市民運動から地方議員に成り上がった者が、あっさりと手のひらを返す。人権派を騙る市民運動の幹部が、助成金欲しさ、自らの立候補という卑しい思惑でその議員に擦り寄ってゆく。

議員や役人と言う職種は、最も信頼のおけない、人間として卑しい奴らがなりたがる賤職に成り下がっている。

私的な交友関係は、相手が不誠実であれば切れば良い。仕事上の取引であっても、相手が不誠実であれば切れば良い。そんなものに拘泥している暇は無い。

しかし、公権力はどこまでも纏わりついてくる。法とその運用によって、人としての生き様を捻じ曲げることを強制する。

これからの政治は小泉政権よりも酷くなるだろう。過去には曲がりなりにも、野党という勢力があった。しかし、これからは大政翼賛会となる。
小泉政権では悪政が隠されていた。これからは悪政がむき出しのまま、露骨にあからさまに行われてゆくだろう。
小沢一郎氏待望論もあるが、過度の楽観主義はその後の失望を大きくするだろう。

最悪の事態を想定して、衝撃に備えよ。
どこまでも纏わりついてくる腐臭にまみれた公権力の行使を断ち切ることはできるだろうか。この国に生きる限りそれは不可能だ。
ではその影響力を削ぐことはできるだろうか。

公権力の干渉を抑え、良いとこ取りをする私的自治の領域を構想し、実現のために動き出そう。
それは一企業かもしれない。村の一部の変人集落かもしれない。大規模店の撤退により息を吹き返す機会を得た商店街かもしれない。
面白いことは地域にある。マスコミや役所の監視の目をかいくぐり、尊敬できる人々の、ゆるりとした、しかし、強靭であきらめない活動がある。
金のあるところから、金を引き出し、それを限られた範囲で循環させる。別に非正規雇用が蔓延しているからといって、正規雇用が禁止されているわけではない。全てが、グローバル経済に直結していて、国際競争に巻き込まれているわけではない。巻き込まれたい奴らは勝手にやってれば良いのである。
限界集落を乗っ取り村国家を作ったらどうだろう。国際競争など、どこの世界のことでしょう?というような、ある意味閉じられた経済循環を創り出すというビジネスモデル。

金の無くなったアメリカが露骨なカツアゲを開始し、日本は唯々諾々と従っている。何が思いやり予算だ。金はどんどん巻き上げられ搾り取られてゆくだろう。しかし、奴らが僕達の心まで搾り取れるだろうか。魂を巻き上げることができるだろうか。
見ているだけで反吐の出そうなゾンビの徘徊からちょっと視線をはずし、地域に目を向けよう。まともな人々と語り合って、面白いことをはじめよう。

私的自治のネットを張って、行政に勝手なまねをさせない力を蓄えよう。

小沢一郎氏のいう議会制民主主義の確立には強靭な私的自治の実現力が欠かせない。今の国政の体たらくを見ていてつくづくそう思う。
権力の腐敗にまみれてこちらが腐る必要は無い。そう気づいている人は意外に多い。もっと人と出会い、意気投合して何かを実際にやってみる。その楽しさを知れば、しんどい日常も何とかやり過ごすことができるだろう。ちょっとの一歩が意外な人生の転機になる。ニュースを見ていてもうんざりするだけである。
主権の行使は選挙だけだという小沢一郎氏に一泡吹かせてやろうではないか。

2010年7月30日 (金)

虐待と貧困の拡大再生産。問題の本質から目をそらし続けても、問題は消えて無くなりはしない。負のポジティブ・フィードバックは間違いなく日本を蝕み続けている。

Asahi.com児童虐待、過去最多の4万4千件 09年度の児相対応分
以下抜粋
Tky201007280210

「厚労省は虐待死を防ぐため、望まない妊娠などの悩みに対する相談体制を充実させ、乳幼児健診の受診を呼びかける。」
抜粋終わり

見事に自殺者が3万人を超えた98年から急カーブを描いている。厚労省は見てみぬ振りを決め込むつもりだろうが、多くの人々はとっくに気づいている。虐待の背後には貧困問題が横たわっていることを。

児童相談所から見る子ども虐待と貧困 虐待ハイリスク要因としての家庭の経済的困難
川松 亮 東京都北児童相談所 児童福祉司
「言うまでもなく児童相談所は、子どもに関するあらゆる相談を受け付けているところである。しかし、ほとんどの子どもの問題は、家庭の抱える問題の反映であると感じる、家庭内の葛藤が子どもの成長に様々な形で影響を及ぼしているのだ。そしてよく調べてみると、家庭の抱える問題が、多くの場合に経済的な困難を背景としていることがわかってくるのである。」子どもの貧困白書 P233
「子どもの虐待を減らすためには,家族を巻き込むこのような貧困状況を解消するための対策を講じる必要があると考える。」子どもの貧困白書P236

それとも厚労省の役人は、この学校の管理職のように現象の表層をなぜ回すだけで、問題の本質に気づかない馬鹿ばかりなのか。

「脱線となるが、虐待が社会的問題となっている今日ですら、学校の管理職が「我が校には虐待児など一人もいません」と断言されることがある。
「じゃあこんな子はいませんか。何日も服を替えてこない。風呂にきちんと入っていない。落ち着かなくて、気分のむらが激しい。だれかれかまわずべとべと抱きつくが、ちょっと注意すると切れて大暴れする。暴れた後や、しかられた後、ぼおっとしてしまう。感情のこもっていない人形のような目で人を見つめる。弱いものいじめを繰り返す。給食をがつがつ食べるがちっとも太らない。」
 すると「そんな子はいっぱいいる」と言われるのが常である。「今述べたようなものが虐待児の特徴です」と言うと、驚いて考え込む。」子ども虐待という第四の発達障害 杉山 登志郎著 P39

そして、子どもの将来に襲いかかる現実。
Garbagenews.com「25歳未満の非正規雇用率は72%に急増中、ただし……」2008年11月22日より引用

Gn2008112208



特定非営利活動法人自殺対策支援センターライフリンク 自殺者統計より引用
④男女別・年齢別自殺者数
自殺は、日本人の死因第6位になっています。20~45歳の男性、15歳~35歳の女性においては、死因の第1位です。
日本では、中高年の自殺率が高く、自殺者全体の6割を占めています。
Statistics_age




家庭における貧困と虐待が社会による継続的な虐待と貧困に移行するだけだ。貧困と虐待の連鎖と拡大再生産、負のポジティブ・フィードバックは続いてゆく。

困窮者を支援する活動において、極まれに、重篤な適応障害を抱えている人に遭遇することがある。そこで、精神科医や心理カウンセラーなどの応援が必要となり、僕たちも基本的な知識習得のため勉強会を開いたりする。
そんなかかわりの中で、ある私立大学で学生の相談業務にも携わる先生と懇意にしていただいている。その先生は臨床心理士の資格も持っている。
私立大学に子どもを通学させてやれる家庭は、経済的にも余裕のある家庭であり、その子弟ものびのびと大学生活をエンジョイしているのかと思っていたが、その先生によると、全然そうではないらしい。
例え、父親が正社員であっても、賃金は上がらず、いつ、リストラに遭うかわからない。家庭自体にいつも不安の影があり、それが親からの暴力や過度の支配に繋がる。
学校では、閉じられた関係におけるネットの世界が現実世界に大きな影響を与えているらしい。学校裏サイトがよく問題になるが、なんと、同じような問題が大学にもあるという。今の子どもは小さいときからいじめのトレーニングを重ねている。ネットの世界を利用して現実の人間関係を操作し、破壊することなどお手の物だというのだ。
そして、厳しい就職状況がある。この闘いに負ければ、一生低賃金、不安定な非正規雇用しかないという現実を学生達は過剰に認識している。
心の壊れ方が半端ではない学生などごろごろいるということである。
その先生に言わせると、事後的紛争の解決のため法科大学院を作って弁護士を増やしたり、心理士や学校カウンセラーを増やしても、問題は解決しない。国家が責任を放棄して民間に安くそのケツを拭かせるが目的であり、とんでもない話だということだ。全く同感だ。

何の責任も感じることなく、どうして、こう平然と若者を苛め抜くことができるのだろう。そのつけは必ず払う羽目になる。
心を病む若者がどんどん増える。若者の心の闇がどんどん広がる。
どうしても、スケジュール管理や身の回りの整理、整頓ができない社員がいる。
他人の心理的弱点を巧妙に嗅ぎ分け、支配、操作しようとしてトラブルを撒き散らす社員がいる。
異動や昇進に伴い、過剰適応の末、うつ病になってしまう社員が随分増えた。

虐待として認知される子ども、病的な社会不適応として治療を要する者。しかし、社会的な認知からこぼれ落ち、心に深い傷を抱えながら、未来に絶望して青息吐息で生きている若者は、一体どれほどの数にのぼるのだろう。

ニュースとなる大事件の影で、故意過失も定かではない、責任能力を問えるかも微妙な事件、事故、トラブルがますます増えていくのではないだろうか。

2010年7月29日 (木)

妖怪千葉婆の黄泉がえりと死刑執行。心の死んだゾンビ内閣の空虚な眼差し。自らの良心や信念を殺しても、人は生きてゆけるのだろうか。

人生の積み重ねのなかで、絶対に超えられない一線というものが形作られる。真っ暗闇の中でも進むべき道を指し示す羅針盤が出来上がる。
間違いを犯すこともある。自らに恥じる行いをすることもある。しかし、自らの良心や信念に従い、最後の一線を越えなければ、自分だけが知っている、自分への信頼感が損なわれることは無い。羅針盤に従い行った行為に対して生まれる自尊感情は生きる糧となる。

自らの良心や信念に反する行いは、魂の自殺行為に等しい。

もし僕の妻が脳死状態に至ったとしても、僕は脳死判定を絶対に受け入れないだろう。脳死肯定者から見れば、非科学的、愚かで頑迷な人間と見なされるだろう。しかし、肉親の死に目に遭い、死亡宣告直後の暖かい肌触り、納棺後のぞっとする肌の冷たさ、そのときの冷たさにこそ死を実感してきた者にとって、肌の暖かい、拍動のある肉体が死体であるという、科学的な知見を受け入れることはできない。これは信念の問題である。
まして、経済的な理由や自らの利得のために脳死判定を受け入れることは絶対にできない。たとえ、他に救われる人がいると説得されたり、社会の迷惑だ、利己的だと非難されたとしても。これは良心の問題である。
たとえ、職を辞し、蓄えが尽きて障害年金や生活保護に頼ろうとも、拍動の絶えるまで妻の死を受け入れることはしないだろう。最期を看取ること、それが僕の矜持である。
もし、脳死判定を受け入れるなら、僕は自らの魂を殺すことになる。その後の人生で、僕は間違いなく自死を選ぶと確信している。

僕は、脳死臓器移植と死刑制度廃止はまさしく政治家の良心と信念の問題だと考えている。
私人による殺人。その被害者へのヒステリックな同情。罪人に対する国家による殺人。その制度へのヒステリックな賞賛。
救われない幼子の命に対するヒステリックな同情。私的領域に土足で入り込み、殺人を称揚する新臓器移植法。その制度へのヒステリックな賞賛。
自らが殺人を幇助しているかもしれないという良心の恐れを、死というものに対する個人の信念を、法と権威によって払拭する国家制度。死刑と脳死移植。

その他にも、この社会には自らの良心や信念を捻じ曲げようとする政治力に満ち満ちている。一度、その良心や信念を捨て去れば、それまでの人生の価値が全て失われる。その先は屍としての人生しかない。
その力に抗い、生きる。その力に押しつぶされ、死ぬ。

千葉 景子の人生とは何だったのだろう。自らの信念も良心もかなぐり捨てて、死刑を執行した。晩節を汚すどころではない。今まで積み重ねてきた人生を、自ら、完膚なきまで破壊しつくした。そして、外形上は、恥じることも無く生きている。

すでに魂は死んでいたのだろう。黄泉の国からの生ける屍の招応。落選後の法相留任は、このための、妖怪千葉婆、ゾンビ復活の儀式だったのだろうか。かつては死刑廃止を推進する議員連盟に所属し、アムネスティ議員連盟の事務局長も勤めたという妖怪千葉婆が、自ら死刑を執行することに、ゾンビを操る勢力にとって大きな意味があったのだろう。

政治的信念、政治的良心を失った魂の自殺者たちの徘徊。何者かに操られるゾンビの饗宴。最も重要であるはずの予算、「日本復活枠」をコンテストで決めるという、政治理念の空白。

心の死んだゾンビ内閣の空虚な眼差し。

空恐ろしい異形の世界にようこそ。

2010年7月28日 (水)

「世間一般の常識」と会計管理実務担当者の常識との甚だしい乖離。朝日新聞はせめて売文屋としての本分を思い出したほうが良いのでは。検察審査会をよいしょする提灯記事を哂う。

朝日新聞が「千ページの証拠資料・条文勉強…検察審査会の経験者証言(1/3ページ)2010年7月22日3時1分」という特集記事を出している。
 なぜ、小沢氏に対する議決をした者達を中心にしていないのか。「鳩山氏とは別の政治家を審査した市民」などとぼかした表現を使うのはなぜか。なぜ鳩山なのか。
 当然、検察のお許しが出たケースの取材なのだろう。だから、検察審査会をよいしょする提灯記事しか書けないのだろう。

 いろいろ突っ込みどころがあるが、今日は一点だけ。
以下記事抜粋
「会計責任者の選任と監督の両方の注意を怠った場合にしか政治家の責任を問えない規正法の規定について、「政治家に都合のよい規定だ。監督責任だけで会社の上司が責任を取らされている世間一般の常識に合わない」と、法改正を促す指摘も盛り込んだ。」
抜粋終わり

「監督責任だけで会社の上司が責任を取らされている世間一般の常識」とは会計実務管理者を経験した者との常識に比べれば、とんでもない非常識である。

 会社の会計実務の要諦は、外部に対しては適切なIRを公表すること、そしてより重要なのは国税対策である。
 内部に対しては、売掛金の不良債権化防止と従業員による金銭横領の防止である。
そして、社内の懲罰委員会で処分を受けるのは、会社に実際の金銭的損害を与えた場合であり、それ以外は人事評価で調整が図られるのが一般的だ。少なくとも僕の経験では。それとも、人事評価が刑事処分に匹敵するというのが「世間一般の常識」だとでもいうのだろうか。
 
 会計実務担当者が発生主義に基づく仕訳を行わずに期づれのある処理を行ったとする。会計管理責任者の腕の見せ所はその一つの仕訳の背後に横領の隠蔽、もしくは売掛金未回収の事実の隠蔽が無いかを見破ることだ。
しかし、直接の証拠も無く現実に損害も発生していないのに、期づれのある仕訳を行ったことのみを問題にして、会計担当者を懲罰委員会にかけたりはしない。まして会計管理責任者や箇所統括責任者がその責任を問われて懲罰委員会にかけられることなど絶対に無い。それどころか、その一つのミスをあげつらって担当者の人事考課を不当に低く行うことも、まともな管理者ならばやらないだろう。それが社会人の常識というものである。
会計担当者の横領の事実や売掛金の回収不能が発覚した場合は、それを漫然と見過ごしていた会計管理責任者や箇所統括責任者の責任が問われる。しかし、損害額の多寡、見過ごした場合の管理の態様などをきちんと調べてから、あまりにも酷い場合のみ管理者の責任が懲罰委員会で問われることになる。
もちろん横領の場合はその額が多額で回収の見込みも無く、悪質な場合は当事者の懲戒処分はもとより刑事告発をする場合もある。しかし、ほとんどの場合、外聞を慮って刑事告発をすることは無い。まして、管理責任者が共謀の疑いをかけられ懲罰委員会にかけられたり、刑事告発されたりしたことなど聞いたことが無い。もしありうるとすれば、管理者が担当者に命令を下し、その権限によって強制的にやらせたことを、事実をもって証明しなければ話にならない。疑いだけで管理者や統括者を処分するなど、一般企業での常識からはありえない。

刑事処分というのは随分安易で軽いものなのだろう。一般企業では処分を下すという行為については極めて慎重であり、注意深く事実を探るのが常識である。

会計担当者が期づれの会計仕訳を行った。これを見つけた社内監査委員が鬼の首を取ったように、この裏には絶対に何かがあるに違いないと強弁して担当者のみならず会計責任者、統括責任者を懲罰委員会に引きずり出す。これは、はたから見れば、社内監査委員が何らかの別の思惑をもち、会計責任者や統括責任者を陥れようとしている、と見るのが一般企業に勤める者の常識であろう。

「監督責任だけで会社の上司が責任を取らされている世間一般の常識」とはマスコミが捏造し、会社での管理実務を知らない、会社における「処分」と普通の人事評価の区別もつかない「善良なる市民」が刷り込まれた非常識である。
だいだい、会社で取らされる責任と、刑事責任とを同一視しているところに、刑事司法の原則や憲法理念を全く理解していない「善良なる市民」の面目躍如たるものがある。
マスコミが実務とは遊離した「世間の常識」をでっち上げる。この捏造された「世間の常識」を無批判に鵜呑みにするのが「善良なる市民」。その「善良なる市民」から、一般企業の常識、本当の世間常識から遊離した高給エリート記者が、捏造された「世間の常識」を取材してそれを記事にする。世間の常識からは隔絶したマスコミの非「常識」が、ぐるぐる回り、恥ずかしげも無く、醜い円舞曲を踊っているわけである。

それとも、事実の確認もせずに懲罰を乱発するほどに今の企業社会は腐ってしまっているのか。首切りのために懲戒事実をでっち上げて処分を乱発しているのか。もしそれが実態だとしたら、その実態こそが問題にされるべきであろう。にもかかわらず、その実態に合わせて政治家への刑罰権発動を容認するならば、まさに、今の日本は無法、無秩序の非常識な世界だといわざるを得ない。

しかし、朝日新聞もとことん落ちたものだ。

 高校時代に現代国語の先生が
「朝日新聞の天声人語を毎日200字にまとめて持ってくれば添削してあげる。半年も続ければすごく力がつくよ」
 と言ったので、愚直にその言葉を真に受け半年続けたら本当に現国の成績は見る見るあがった。
 毎日続けることができたのは、天使人語の内容が面白かったからだ。思春期の反抗期に諧謔や皮肉を交えた体制批判のコラムはなかなか刺激的だった覚えがある。
 社会人になってからもすぐに朝日新聞は購読した。転勤のたびにすぐに朝日新聞の販売店に購読を申し込んだ。

 そして、昨年、二十数年、高校、大学時代を入れれば三十年近く続いた朝日新聞の購読を止めた。

 小泉政権下でも何とか我慢していたが、政権交代後、少しはましになるかとの期待も見事に裏切られたわけだ。

僕は「善良なる市民」であることを止めた。

 新聞社の販売アイテムは一つだけだ。従ってこの商品に対する顧客のロイヤルティーは、少なくとも、数年から十数年のスパンにおける継続率で測るべきだろう。パレートの法則を商売の経験則に応用?した二八(にっぱち)の原理で分析するとどうなるだろうか。その期間における、販売店経由で定期購読している読者の販売総額。その8割は2割の長期継続読者によって支えられているかもしれない。まあ、旧態依然の販売店制度をとり、押し紙までやっている可能性があるのだから、そんな顧客データを完備しているとは到底思えないが。
 
僕自身はかなりロイヤルティーの高い優良顧客だったはずだ。しかし、朝日新聞のマーケティングはその有力顧客を切り捨てたわけである。
「ビジネスにおいて、売上の8割は全顧客の2割が生み出している。よって売上を伸ばすには顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、2割の顧客に的を絞ったサービスを行う方が効率的である。」(ウイキペディア パレートの法則参照)という二八(にっぱち)の原理の真逆を行き、優良顧客2割のかなりの部分を失ったのではないのか。

ロイヤルティーの高い優良顧客をないがしろにし、新たな顧客層に参入しようとしても、読売、産経がその読者層をしっかりと押さえている。結局、優良顧客離れを起こす記事編集によって、新たな顧客を獲得することもできず、事業ドメインは茫洋として「Vの谷間」に落ち込むことになる。典型的な企業没落の道筋である。
広告費を出すスポンサー企業の思惑に従ったのか。しかし、購読部数を減らせば、足元を見られてもっと広告費は叩かれる。随分とお人好しな経営戦略だ。

そして、その結果が2年連続の赤字転落に現れている。対策としては正社員給与の削減、非正規雇用の拡大、経費の削減、印刷業者、輸送業者、販売店たたきという、リストラ路線だろう。どんどん企業の活力は失われてゆく。

検察審査会を無批判におだて挙げる社説および、その社説や検察審査会に阿るような提灯記事はまさに傑作である。
論説委員だか編集委員だかよく知らないが、売文屋としての役割は売れる商品を造ることであろう。その売文屋どもが、その自らの商品づくりにおいても無能であり、売れる紙面を編集し経営に寄与するという場面においても役立たずということが如実に現れている。せめて社説くらい署名記事にしたらどうか。恥ずかしすぎてできないのか。
 別に社会の木鐸たれとか、ジャーナリズム精神を忘れるな、などという法外な高望みなどはもうしない。せめて、売文屋どもは、まともな商売人として、そこらの書店でマーケティングの入門書でも買って勉強してはいかがか。せめて、「この商品が売れないのは消費者が馬鹿だからだ」と嘯いてふんぞり返っている、間抜けな己の非常識を認識し、世間の常識に沿った売文に精を出してはどうか。売文屋の本分に戻れば、捏造された非常識を社会に垂れ流す害毒も少しは軽減されると思うのだが。

2010年7月27日 (火)

以前の僕もそうだった、「善良なる市民」の正体。3.小沢氏の「政治と金」問題と政界の水戸黄門、渡部恒三の跋扈および「善良なる市民」の正体

  前回のエントリーでは日本の教育が立憲主義、民主主義についてどれほど貧弱かつ実体験の伴わない、試験答案用の知識の伝達で終わっているかについて、海外の事例との比較を交えて述べた。
 公権力に対しての批判、監視、さらには公権力に対して影響力を及ぼし、社会的な課題の把握と解決に自らが主体的に関るという経験がほとんど無いところに、テレビ、映画、漫画などによる刷り込みが徹底的に行われる。僕の経験を纏めてみると次のようになる。

・幼少期
異形の悪と正義の超人との二項対立、すなわちウルトラマンや仮面ライダーに代表される悪と正義の闘いが幼少期から盛んに刷り込まれる。
ここで重要な事は、普通の人間が実は超人的な能力を秘めた絶対的正義であり、その超人的な力は「変身」という契機で発動されるということである。
現実世界の人間ではなく、異形の悪に立ち向かう絶対的正義の超人という二項対立と、絶対的正義への同一化という刷り込みが、幼少期から執拗に行われる。善悪の二項対立、変身のための消費というそれぞれが大人になってもしっかりと保持される。

・思春期初期
 善悪二項対立の図式は変わらないが、超人が、過酷なトレーニングや人為的な改造を経て卓越した能力を発揮する人間に変わってゆく。例えば、ブルース・リーのカンフー映画、「600万ドルの男」などのサイボーグものなどである。
 ここにも、私人、公権力という区別は無く、あくまでも善・正義と悪・不正義の二項対立しかない。ただし、現実での自己認識により絶対的正義への同一化は揺らぎ始める。

・思春期後期
 ここらで、水戸黄門的な世界観が刷り込まれる。
 これがなかなか巧妙な仕組みになっている。
 悪・不正義は通常、公権力と私的権力の癒着という形をとる。悪代官と越後屋というパターンであり、公権力と私的権力は悪という要素で一体化される。
 この悪によって迫害・不利益を受け時に命を奪われるのは、徹底的に非力で脆弱な私人である。公権力に対抗する民主主義的な方法、私的権力に対抗する契約と法による方法などの区別は度外視される。そしてこの非力で脆弱な私人に対し援助の手を差し伸べるのが水戸黄門であるが、必ず、その正体は隠し、市井にいる非力な私人として関りを持つようになる。ご隠居様ということである。
 そして、最後の最後で「変身」する。変身アイテムは印籠、変身後の姿は絶対善、正義、無謬性を体現する公権力、水戸光圀公である。
 悪は、私人、公人に関り無く絶対正義の公権力のまえに跪く。
 この物語には幾つかの意味がある。まず、悪は私人と公人が渾然一体となり、その区別無しに絶対悪として描かれる。悪によって迫害を受ける私人は徹底的に非力で脆弱であり、自らを救済することが、これまた、徹底的に不可能な存在として描かれる。そして、その救済を図ることができるのは、絶対善、正義、無謬性を体現した公権力であり、その公権力はいつでも市井にいて目を配り、必ず非力な私人を救済するというメッセージを発している。
裏返して言うと、非力な私人は非道を甘受せよ。反抗は無駄である。絶対正義の公権力が必ず救済してくれる。つまり、本来主権者である国民は自らの力、連帯の力、自発的な行動によって課題解決を図ることができる存在なのだが、その力を全否定し、全ては他人任せ、お上任せにせよというメッセージが情動に刷り込まれることになる。現実の自己の不完全さという認識は、お上に保護され、包摂されることにより払拭される。そして、印籠というアイテムによる「変身」は幼少期から慣れ親しんだパターンであり、その変身後の公権力にひれ伏す悪人どもを見て、この隠れたメッセージの刷り込みと同時に強いカタルシスを感じることになる。
 この反応は極めて情動的なものであり、論理や知性によって制御された意識ではない。大体、高校時代には、未熟ながらも、すでにそれなりのスタイルや価値観が形成されつつあり、時代劇など年寄りの見るもの、ダサいものと評価しているのだが、見ているとついつい最後まで見てしまい、「変身」による悪の退治というパターンに我知らず快感を覚えてしまうのである。
 そして、このパターンは繰り返し、繰り返し行われることにより、意識下にしっかりと刷り込まれることになる。
さらに、多くの娯楽時代劇がこのパターンを踏襲していることも、この情動的なカタルシスのパターンがいかに多くの国民に刷り込まれているかの証左であろう。遠山の金さん、私人を騙る「遊び人の金さん」が桜吹雪の刺青を露出することにより江戸町奉行に「変身」する。暴れん坊大将、貧乏旗本の三男坊に身を窶した若旦那、徳田新之助が最後に将軍吉宗に変身し悪を成敗する。他にも桃太郎侍などいろいろあると思われるが、面白いのはこれらのテレビ番組が皆パチンコ台になっていることである。脳内麻薬といわれるドーパミンの放出が、テレビ番組によるカタルシスと相乗効果をあげて、パチンコ中毒を蔓延させるのに一役買っているのかもしれない。
 
 ・大学生から社会人へ「善良なる市民」の完成
 高校受験を終えるとテレビも映画も見放題である。そこではものすごい数の刑事ドラマ、警察ドラマが蔓延している。実態をリアルに再現したように見えるもの、荒唐無稽なもの様々なパターンがあるが、ここでも、警察、検察は絶対善、正義として描かれる。たまに、悪として描かれる刑事や警官もいるが、これを成敗するのは、市井の私人ではなく、同じ公権力である刑事や警官である。
 テレビの刑事ドラマでは、時代劇のように悪をバッサリと切り捨てるというカタルシス効果は弱い。しかし、繰り返し、繰り返し警察、検察権力の無謬性、正義、善が強調される。そして、悪役の犯罪動機や犯行態様がステレオタイプ化して視聴者に刷り込まれる。  
刑事訴訟法を全く無視した、強制力、有形力を行使した違法な任意捜査があたかも当たり前のこととして表現される。視聴者は、任意捜査を拒むことができることも、強制された場合にそこで得られた供述調書などが違法収集証拠として、証拠能力を失うことも知らず、悪を討つためには当然のこととして、違法捜査を常識化してゆく。
 さらに、警察24時などという実録番組、ニュースの犯人視報道により、フィクションの世界の出来事が現実の事件に転換され、特に強力な公権力の行使である、刑罰権行使に対しての無防備な許容性が異様に肥大化する。
 さらに、ハリウッド映画に代表される勧善懲悪ものもカタルシス効果は非常に高い。なんせ、銃は撃ち放題、爆破し放題、ドッカン、バキュンと不死身の超人的なヒーローが悪を殺しまくる。元特殊工作員、元警官などが私人として悪をなぎ倒すパターンもあるが、ここでは、警察、軍隊などが、官僚的で、法に縛られ、融通の利かない役立たずとして描かれ、超法規的な破壊活動、殺人行為、傷害行為が容認される。
 ここまで、公権力に対しての無垢な信頼と善悪二項対立の図式が刷り込まれてしまうとフィクションの世界でも、現実の世界でも善悪二項対立のものの見方が定着してしまう。私人対私人の抗争、紛争とそこに関る公権力を分けて物を見るという思考形態は見事に払拭される。
 かくして、幼少期から刷り込まれた善悪二項対立の視点は、水戸黄門により善、正義、無謬の公権力が無力な私人を救済すると言う構図に置き換えられ、さらに、刑事ドラマ、警察実録映像、などにより刑事司法の無謬性へと高められてゆく。
 社会人となり日々の業務での強いストレスを解消するため、より刺激の強い、よりカタルシスを覚える、勧善懲悪の二項対立への嗜癖が強まり、現実の世界を見る視線も善悪二項対立の視線へと収斂する。特に、90年代後半以降、僕はドッカン、バキュンの映画や、破壊し続けるゲームに没頭した。市民運動なるものにも勧善懲悪の幻視を重ねていた。
 そして、現実に起こった事件に対しても、テレビを通すと公権力、私的権力、公人、私人の区別無く、善、悪、正義、不正義の対立にしか見えない。そして、自分はいつも善、正義の立場に寄り添っているとの幻想を持ち、仮にも悪が見逃されることになれば、カタルシスへの嗜癖が満たされずに激昂することになる。
 
見事な「善良なる市民」の出来上がりである。
 
 小泉政権下、公権力の行使を批判的に見るという「下から目線」を獲得して、はじめてこの呪縛から逃れることができた。

・小沢氏の「政治と金」問題と政界の水戸黄門、渡部恒三及び「善良なる市民」の正体
 さて、ここまで述べれば、反小沢氏の象徴的存在として水戸黄門、渡部恒三がもてはやされる理由も明白となる。あれほど醜怪で私怨に満ちた戯言を垂れ流す渡部恒三を、なぜマスコミが重用するのかが明らかとなる。
 小沢氏の陸山会事件では、公人、公権力を負託された議員として小沢氏を批判的に監視する視線と共に、公権力の行使の中でも最も強力な強制捜査権、公訴権を持つ検察という行政権力への批判監視の視線が不可欠だった。しかし、マスコミにはこの視線が徹底的に欠落している。
 小沢氏=悪・不正義、検察=善・正義という二項対立の図式が繰り返し報道される。検察審査会は強制起訴権限を有した時点で、明らかに公訴権を保持する公権力となった。市井にいる「善良なる市民」が検察審査会という印籠を掲げ絶対善、正義、無謬性を備えた公権力に「変身」したのである。この構造は裁判員制度にもすっぽりと当てはまる。
 そして、学者、評論家という人種は、実はこのパターンに最も毒されているお人好しではないかと思うことがある。あまりにも「善良なる市民」に無批判、無防備である。
 実際に検察審査会や裁判員裁判に参加する「善良なる市民」は刑事罰を与えることには躊躇を感じる健全さも持ち合わせていると思う。しかし、権威ある弁護士という検察補助員、裁判員制度では裁判官が、善悪二項対立の嗜癖を呼び覚ます事は極めて容易であろう。服従実験を持ち出すまでも無く、憲法に由来する、刑事裁判の原則を理論的に意識化していない「善良なる市民」に対して、刑罰権を発動することに対する躊躇、ある意味での健全さを破壊する行為は容易いことである。そして、どのようなプロセスでその破壊が行われるかは全く外部に知らされることは無い。絶対に知らしめてはいけない。

 そして、世論誘導を図るマスコミも、市井にいる「善良なる市民」が検察審査会という印籠を掲げ絶対善、正義、無謬性を備えた公権力に「変身」するというパターンを想起させることに必死である。それゆえ「善良な市民」の意識下にしっかりと刷り込まれたパターンを呼び覚ますために、政界の水戸黄門、渡部恒三を意識的に重用することは驚くにあたらない。
 陸山会事件におけるマスコミの報道姿勢には多くの批判が寄せられた。朝日新聞などは惨めな弁明特集まで掲載し、自己弁護に終始した。多くの読者がその姿勢に辟易し購読を止めた。朝日は二年連続の赤字経営に転落した。
 マスコミは残っている読者、視聴者に対して必死で情動に刷り込まれたパターンを想起させるために、渡部恒三とうシンボル、水戸黄門というシンボルに固執している。むしろ、マスコミ自体が、情動に刷り込まれたパターンに囚われているといったほうが良いかもしれない。それ以外の視点を持つことができないほど劣化しているのかもしれない。
 
 多くの国民は、90年代半ばから継続している暴政によって非常に痛めつけられている。生存に係わる恐怖と、ストレス、怒りに満ち満ちている。すでに、テレビや映画で得られるカタルシスでは到底間に合わないほどに切迫している。
 この先に二つの道がある。現実に起こる出来事に対して、あくまでも絶対善、正義、無謬性を体現する公権力という幻想を捨てられず、悪を成敗するように見える勢力に喝采を送り、自己を同一化しファシズムに直結する道。
 もう一つは、どれほど、テレビや映画でカタルシスを求めても満たされない現実、あまりにも酷い現実に、行政府、マスコミに対する不信を募らせ、知らず知らずに公権力を批判的に見る「下から目線を」を獲得して行く道。

 「善良なる市民」の正体に気づき、「下から目線」を獲得するために、テレビや映画を観るときに公権力と私的権力、私人と公人という分類を頭において鑑賞することをお勧めする。ストレス解消の効果は激減するが、理知的な分析の楽しみは倍増するだろう。

2010年7月25日 (日)

But to look for Heaven is to live here in Hell 天国を捜すということは地獄に住んでいるということだ


There were rooms of forgiveness
In the house that we share
But the space has been emptied
Of whatever was there
There were cupboards of patience
There were shelfloads of care
But whoever came calling
Found nobody there

After today, consider me gone

Roses have thorns, and shining waters mud
And cancer lurks deep in the sweetest bud
Clouds and eclipses stain the moon and the sun
And history reeks of the wrongs we have done

After today, consider me gone

I've spent too many years at war with myself
The doctor has told me it's no good for my health
To search for perfection is all very well
But to look for Heaven is to live here in Hell

After today, consider me gone

僕らが住んでいた家には許しと寛容の部屋があった
だけど、そこに何があったにせよ、その場所は空っぽになってしまった。

その家には忍耐という食器棚があり気遣いという棚荷があった
だけど、誰が訪ねても、もうそこにはもう誰もいない

今日から僕は死んだと思ってくれ

薔薇には棘があり、輝く水は泥に濁る 甘い蕾の奥深くには癌が潜んでいる
雲や蝕が月や太陽に染みつき 歴史は僕らの犯した間違いに満ち溢れている

今日から僕は死んだと思ってくれ

僕は何年も僕自身との戦いを闘ってきた それは健康に良くないと医者には言われた
完璧を求めるのはとても良いことだけれども
天国を捜すということは地獄に住んでいるということだ

今日から僕は死んだと思ってくれ

2010年7月24日 (土)

以前の僕もそうだった、「善良なる市民」の正体。2.法教育の不毛に日本の衆愚化教育行政が断固拒否している項目を見る。

 僕は立憲主義、すなわち公権力の行使を制限する根本規範という意味で、憲法を習ったことが有っただろうか。
 憲法がある事は知っていた。戦争の放棄を謳った9条があることも知っていた。思想・信条の自由、表現の自由があることも知っていた。
 しかし、誰が誰に対してこの権利を侵害してはいけないと命令しているのか、という認識は無かった。
 法律は僕に対する命令である。例えば物を盗んだり、人に怪我をさせたり、殺したりすることはいけないことだとは知っていた。その行為をすると警察に捕まり、裁判にかけられ刑罰を受けることも知っていた。
 憲法も同じものだと思っていた。罰は受けないかもしれないが、他人の自由を侵してはいけないという命令だと思っていた。誰かが僕の自由を侵害するとき、侵害するなと主張することはできる。それが権利の主張だと思っていた。
 だから、私人であれ、会社の上司であれ、警察であれ、僕の思想信条の自由、表現の自由、集会の自由を抑制しようとする者には敵対し、こちらの正義を主張する。その根拠が憲法だと思っていた。

 選挙が近づくと職場に自民党や公明党の名簿に記入することが求められる。僕は思想信条の自由を盾に記入することを拒んできた。管理職になったとき、僕が記入しないで回覧したら、後の社員も全員無記入。これには僕の上司が激怒した。僕は憲法を引き合いに出して抵抗した。上司はなんだかよくわからないが、憲法という言葉にびびった。その後選挙協力の名簿は僕を素通りするようになった。

 しかし、僕の主張は全然見当はずれだった。憲法の私人間効力、間接適用説など全く知らなかった頃の話しだ。

 法律は国家権力から僕に対する命令である。憲法は僕らから国家権力に対する命令である。
 知ってしまえばどうっていうことも無い、それほど難しいことではないのだが、なぜこんなことにずっと気がつかなかったのだろう。
 
法務省のHPに「法教育」というページがある。

000023152

この図を見てすぐ気がつく事は文部科学省が定めた新学習指導要領における法教育の貧弱さだ。
立憲主義などどこにも無い。ちなみに高校の新学習指導要領の公民分野を見ても立憲主義という言葉は全く出てこない。

最も強力な公権力の行使である刑罰権についても何も無い。あるのは裁判員制度を説明しろという内容のみだ。

「法教育の普及・促進に向けた法務省の取り組み」という図もある。
000023153_2

これからどういう法教育を導入すべきかを検討しているようである。一応立憲主義という言葉もある。
法務省では法教育研究会「報告書」というものを出している。このなかで、一応、「立憲主義を,「みんなで決めるべきこと,みんなで決めてはならないことを明らかにしたこと」として位置付けた。」と説明している。しかし、公権力は立法権だけではない。むしろ行政権力の行使、不行使のほうが問題になる。「公権力の行使を制限する根本規範」という視点をぼかしているといわざるを得ない。
刑事裁判については民事裁判との比較においてより厳密な適正手続きや検察の高度な立証責任に触れていることは評価できる。
しかし、最も懸念されるのは「私法と消費者保護」という項目において、消費に関る私的契約よりも、生きてゆくうえでさらに重要な私的契約、すなわち雇用契約については完全に無視を決め込んでいることである。
しかも、この法務省の検討内容が、どのように学校現場に導入されるのかは全くの未知数だ。
現在及び近い将来導入される新学習指導要領においては、立憲主義は論外、刑事裁判については裁判員制度のみ、重要な私的契約である雇用契約についても無視、という状況が続いてゆく。

僕が、立憲主義を知らなかったのはあながち不勉強だからというわけでもないようだ。

僕は経済学部出身なので大学で法律を学ぶ機会は無かった。社会人になっても立憲主義について学ぶ機会は無かった。

小泉政権の暴政に触発されてようやく「思いを現実化する力」が権力であると理解した。憲法は権力のなかでも、私的権力(私企業など)ではなく公権力を制限する根本規範であると遅まきながら理解したのである。そして、公権力を批判する基準は憲法の条文に書かれていると理解したのである。

官僚や政治家は法学部出身者が多い。当然立憲主義については学んだはずである。しかし、いったん公権力を握れば、下々の者にそんなことを理解されると、やりたいように公権力を振るうことができない。だからこそ、教育においてもそんな事は教えない。憲法を国民の義務を強調する形に変えてしまおうとする。


子供が始めて公権力の担い手たる大人に接するのは公立学校である。本来教師は公権力の担い手としての役割と、一人の主権者、労働者としての側面の両方を併せ持つ。しかし、今の学校現場では公権力の担い手としての側面ばかりが強制される。
特に生徒会などというものは噴飯物である。
ガッコのセンコのめんこがいやいやながら立候補し、一応立ち会い演説会やら投票など擬似民主主義が行われる。しかし、実権を握っているのはセンコである。センコの許しが無ければ何もできない。せいぜいセンコの負担を軽くする労働者として何とか委員が選ばれ掃除だの草刈だのが強制されるのが関の山だ。選挙で選ばれた代表に実は実権などは無く、官僚が権力を握っているというどっかの国のエセ民主主義の見事なカリカチュアだ。

例えば、デンマークでは義務教育の全ての学校で「学校運営委員会」の設立が義務付けられている。保護者の代表者5~7名、教職員の代表者2名、そして、なんと、6年生以上の生徒2名で構成される「学校運営委員会」は学校の授業計画を立案し、市町村の「教育委員会」に提案し、認可を受ける。その他様々な行事などの決定権も持っている。学校の自治が確立されている。(デンマークが超福祉大国になったこれだけの理由―どこが違うのか!?安心して暮らせる希望社会と無縁死3万人の国
 ケンジ・ステファン・スズキ著P95参照)
また、「デンマークでは小学生・中学生・高校生が国の教育問題に意見を出し、国会デモをすることも珍しくありません。」(なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか
 ケンジ・ステファン・スズキ著P51より引用)
さらに上述の法教育研究会「報告書」にはフランスの事例も掲載されている。
以下引用
「ルールの制定,改正に当たっては,子どもたちの声が反映されるよう,クラスや学校での議決事項が子どもの学校代表を通じて市長に伝えられ,ルールは父母会の意見を聴取した上で制定され,地区を管轄する視学官事務所に提出されて承認を受けることとされている。」引用終わり

子供も「思いを実現する力」権力を持っている。これほど有効な法教育があろうか。日本では子供どころか大人がデモに参加することも珍しい。

日本では衆愚化教育が連綿と継続されてきたわけである。

そして、この衆愚化教育のもとテレビや映画、漫画などによって善・正義VS悪・不正義という二項対立の見方が刷り込まれ、そこに公権力の無謬性が巧妙に忍び込むのである。
(つづく)

2010年7月23日 (金)

以前の僕もそうだった、「善良なる市民」の正体。1.立憲主義を理解し「下から目線」を獲得した経緯。小泉純一郎様様。

僕が市民運動なるものに参加したのは91年の湾岸戦争の時だ。僕はもちろん、憲法9条を守るべきだと思っていた。ただ単純にそう思っていた。9条を無視する輩は全て悪、自分は正義だと思っていた。
 犯罪者を捕まえ、罰する警察、検察は善であり正義。しかし、僕の経験からすると、警察はいつでも善・正義というわけでもない。デモに参加して、公安の行確がついたこともある。デモになだれ込んだ機動隊が転び公妨で仲間を逮捕したこともある。この場合、警察は敵であり悪だった。
 自然保護運動で地権者を吊るし上げるのも、役人を吊るし上げるのも同じこと、奴らは悪であり不正義だった。
 市民運動に参加しているのは何をしているのかわからない自由業の人やガッコのセンコや公務員がほとんどだった。そんな人々にとって僕は時に悪であり不正義だった。「資本のイヌ」とののしられたことがある。僕が一般企業に勤めていたからだ。

 多分あの頃の僕ならば、今の警察、検察のありかたに対して疑問を持たなかったかもしれない。裁判員制度も検察審査会制度も「市民の目線」が大事だと肯定していたかもしれない。

要するに、その場面場面で私人、公人、警察、検察の区別無く単純な善悪の対立に括って善・正義の立場に立って物事を見ていたわけである。

しかし、この善悪二項対立の一次元的な見方に強烈な違和感を感じることが出てきた。
元首相小泉の発言である。
 小泉は首相として何度も靖国神社を参拝し、2003年12月9日にはイラク派兵の口実によりにもよって憲法前文を引き合いに出していた。とにかくやることなすこと胡散臭かったので僕は絶対に善・正義とみなすことはできなかった。自分のなかで、小泉は絶対に悪だとの確信はあったし、この点については自分の正当性に確信を持っていた。
しかし、小泉の小気味の良い言葉につい引きずられてしまう自分もいた。一つ一つの発言を是々非々で判断すればよいのか?しかし、どんな発言をしても小泉を善・正義とみなすことへの絶対的な拒絶感は揺るがなかった。この、自分の分裂してしまう気持ちがいつも僕の心に引っかかっていた。

この気持ちのわだかまりにはずっと引っかかっていた。これを解決するきっかけとなったのが、2005年10月19日の党首討論で「思想および良心の自由は、これを侵してはならないと憲法19条に規定されている。総理大臣である小泉純一郎が一国民として参拝する。」とまたまた、よりにも依って自分の正当化に憲法を利用した発言だった。
 怒り心頭ではあったが、そのとき僕はこの正当化を批判することができなかった。小泉の靖国参拝は違憲だ、と僕は善・正義の立場から非難するのだが、小泉は「俺も一国民、なぜ俺の思想および良心の自由は保障されないのか」と僕を非難するわけである。新聞の記事を見ても納得できる批判は見当たらなかった。

僕は立憲主義を知らなかったのだ。

くよくよ、くどくど考え続けてようやく気がついた。
小泉の思想良心の自由はもちろん保障される。しかし、問題なのは、小泉はその「思想良心」に従い、「その思いを現実化する力」つまり強力な国家権力を持っているのである。小泉は法案提出、予算案提出、政策実施によってその思いを現実化した。また、現実化する可能性がある。
憲法の前文を自分流に解釈する。僕が勝手に憲法を自分流に解釈しても世の中は何も変わらない。しかし、小泉が自分の「思想良心」に従い解釈すれば、その「思いを現実化する力」、公権力によって自衛隊のイラク派兵が現実化する。
小泉は多くの有権者によって国会議員に選出され、総裁選によって首相に選出された。つまり小泉の「思い」、「思想良心」は多数の支持を得ている。多数決の原理に従えば小泉がその思いを現実化することに何の問題も無いように見える。そして実際に多くの「思い」を現実化した。国民生活は徹底的に破壊された。小泉の思いを現実化させる行為を禁止する根本規範があるにもかかわらずだ。それが「公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」日本国憲法だ。
だから、小泉が悪か善か不正義か正義かという一次元の価値判断は意味を持たない。
公権力を行使する者、小泉の権力行為が憲法の規範に従っているかという評価で判断されなければいけなかったのである。
小泉政権のおかげで、公権力を行使される側から、その行使に対して、憲法を根拠とした監視、批判という上向きのベクトルの視点、「下から目線」が重要だということにようやく気づいた。善・正義vs悪・不正義という一次元的な判断ではなく、私人間のいざこざにたいする善悪の判断と共に、そこに関わる公権力の行使、不行使に対する憲法に基づく善悪の判断、この二つの判断を兼ね備えた二次元的な判断基準こそが重要だと、ようやく気づいたのである。

この点が理解できて僕の憲法理解はずっと深まった。まったく小泉様様である。
 
この観点が理解できれば小泉政権以降の自公政権下での数々の失言問題にたいする批判がいかに表面的なものだったのかも理解できる。
柳沢元厚労大臣の「女は産む機械」発言。例えば僕がこの発言をしたとしても知り合いの女性達にボコられ、道義的、倫理的に非難されてそれで終わりである。しかし、柳沢の発言はこのような倫理的、道義的に非難されるだけでは終わらない。柳沢厚労大臣はその「思いを現実化する力」権力を持っている。柳沢の政策立案、実施にその思いがどのように反映され、それが男女平等を定めた憲法の観点からどのように批判されるべきかが問われなければならなかった。そして多くの失言問題がマスメディアによってこの観点から明確に批判されることは無かった。
当時航空幕僚長を務めていた田母神の論文や発言が政府見解と違っているということで問題になった。しかし、田母神がその思いを現実化するために、自分の地位と権限を利用し何を実行したか、何を実現することが可能だったのかということこそ問われなければならなかったのである。

齢40を超えてようやく気づいた立憲主義の意義、「下から目線」の大切さ。僕が世界を見る目は大きく変わった。これは喜ばしいことだった。

しかし、なぜこのような大事なことに気づくために長い長い時間がかかったのだろうか。本来ならばもっともっと若い頃からこのようなものの見方ができれば、人生はずっと違ったものになっていたかもしれない。このような「下から目線」を多くの人々が共有すれば日本という国はもっともっと違っていたかもしれない。なぜ・・・?

その理由には教育とメディアの情報が大きく関っていることに気がついた。
(つづく)

2010年7月22日 (木)

叛乱はすでに始まっていた。マスコミも無視できない大規模ストライキの喜ばしき続報。最悪の事態を想定して衝撃に備えよ。叛乱の準備をせよ。

じっとりとした梅雨は明けたが、今度は猛暑に痛めつけられ、厳しい日常は続いてゆく。うだるような暑さのなか、日々の業務に忙殺される。不気味な蠢動を続ける国政を横目でみながら、明らかに民主党惨敗に気を良くしている地方自治体の役人の面を見据えながら、どこに突破口があるのかを模索する日々。

どんなにひた隠しにしようと、闘いは日々続けられている。ちょっと回りに目を配れば果敢に闘いを挑む人々がそこここにいる。新聞やテレビは絶対に報じないが、地域の職場で、街中で、裁判所で闘いは提起され継続してゆく。
何も変わらないかもしれない。しかし、今までだってずっと変わらなかったじゃないか。いまさら変わらないことを恐れて縮こまっていて、何を得ることができる。

最悪の事態を想定して衝撃に備えよ。叛乱の準備をせよ。自己防衛力と連帯の力を、共生の力を蓄えろ。

阿修羅より引用
生コンスト闘争勝利的に展開中!大阪の工事の8割強が停止!大阪駅ビル工事も!竹中・大林が敵対継続http://www.asyura2.com/10/senkyo90/msg/862.html
投稿者 ヒゲ-戸田 日時 2010 年 7 月 19 日 22:22:22: Nk87MbMkz45iQ
   ◎ついに12(月)から生コン圧送も無期限スト突入!空前の産業スト関西で拡大!
     損賠攻撃の大資本との決戦へ!(ヒゲ-戸田 2010 年 7 月 13 日 20:30:19)
     http://www.asyura2.com/10/senkyo90/msg/517.html
の重大続報です。

★既報の通り、7月から関西では大阪府内中心に「全ての工事の土台」たる生コンと
 その関連産業において、大幅賃上げ等労働条件改善とその原資を作る業界改善=
 「2010春闘」の解決を求めて、
A:生コンストライキ=生コン製造工場と生コン輸送部門でのストライキ(作らせない・運ばせない)
B:セメントストライキ=生コンの原料たるバラセメント(粉セメント)の輸送部門でのストライキ
C:圧送ストライキ=建設現場で生コンをポンプ車で受け取りホースで打設箇所に流し込む業務のストを連続的に拡大する無期限ストライキを展開する、という戦後史上初の産業的大ストライキ闘争が爆発してきたが、ついに勝利の展望が見えてきた!

  前投稿で説明しておいたように、このストライキ闘争の狙いは個別会社・各協同組合に春闘ストライキ圧力をかける事によって、彼らをせっぱ詰まらせ、その背後にいる・生コン関連産業を不当に支配搾取している大企業(ゼネコンやセメントメーカー)に立ち向かわせ、賃上げと業界建て直し・大倒産回避の原資(生コン価格1立米1万8000円への適正化値上など)を引き出させる事である。
  つまり「本当の敵」はゼネコンやセメントメーカーなどの大企業である。
       参考:生コン関連業界危機突破!6・27総決起集会
           http://www.kannama.com/news3/10.7.07/kekki.html
★ゼネスト闘争の爆発によって、「週刊ダイヤモンド 7月9日号」では、「大阪府内の全生コン業者の7割が操業ストップ」、「大阪の工事が全面ストップの危機」と書いたが(業界紙以外では初報道!)、
         http://diamond.jp/articles/-/8715
 実態として工事現場の8割以上が停止しているものと見られている。
  あの竹中工務店・大林組が請け負っている「大阪駅ビル工事」でさえ、ずっと工事停止なのだ!

★スト闘争の圧力を受けて、中堅ゼネコンの多くは白旗を揚げて「生コン価格引き上げ」に同意した!これによって、そこに生コン納入する会社に賃上げ原資が入って賃上げ環境が整うため、労組側はそういう会社から今後ストライキを解除していくことになる。 労組側戦術の大勝利である。

★7/12(月)から初の圧送ストに突入した近畿圧送労組は、経営側が要求受諾の姿勢を示したため、ストライキを解除して回答を見守る体制に切り替えた。これもストライキ闘争の勝利である。

★スト労働者の圧倒的な決起と「ゼネコンに生コン価格値上げ了承してもらわないと大倒産になる」という生コン業界上げての危機感の中で、セメント輸送や生コンの製造・輸送におけるスト破りは、今回の闘争においては、一部で警官導入事態もあったものの、小規模に留まった。
  労組に敵対的な事で悪名高い「関西宇部セメント」でさえ、ストを受け入れた(強行出荷を断念した)ようである。

■ ほとんど唯一頑強に敵対しているのが、大手ゼネコンの竹中工務店と大林組で、労組ストを直接潰せないものだから、「生コン価格の値上げ適正化絶対反対!」の姿勢の下に、生コン製造の協同組合に対して「安い価格で生コンを売らないから損害を受けた。値上げ撤回しないと損害賠償訴訟を起こすぞ!」と脅迫して抵抗している。
  これは、生コンを製造・販売する中小企業の全体意思として決定した「企業存続のため絶対に必要な値上げ」を大企業の優位な地位を利用してねじ伏せようとするもので、「不平等取引」そのものである。 
  中小企業支配、協同組合運動と労働組合運動への敵対、東京本社に対する保身のために中小企業に対して「企業自殺」を強要するものだ、と言ってもよい。

▲しかし、そういう竹中・大林にしても、大阪での目玉工事たる「大阪駅ビル工事」は工事を停止せざるを得ず、今の態度を続ける限りは休日あけの7/20(火)からもずっと工事をすることが出来ないのだ!協同組合に対して「損賠請求の訴訟を起こすぞ!」と脅してはいるが、実際に提訴には踏み切れないでいる。

■ 竹中・大林ら敵対的な大手ゼネコンは土俵際まで追いつめられている! あと一押し、二押しで大幅賃上げ&業界救済の勝利をもぎ取る事が出来る!
  しかし敵も必死だ。労組側だって苦しい。
  生コン業界では労組員でも日々雇用の労働者が大勢いる。そういう日々雇用労働者はストで会社業務が停止されれば日給がゼロになってしまう。収入ゼロの状態で連日ストライキ行動で現場動員に駆けつけているのだ。
  まさに決死の闘い、我慢合戦である。

■ だから、みなさんに闘う労働者・労働組合に支援・声援を送ってもらいたい。この偉大なストライキ闘争の事を友人知人にどんどん知らせて欲しい。マスコミやジャーナリスト達に取材と報道を求めて欲しい。
  ようやくにして「週刊ダイヤモンド 7月9日号」で衝撃的な報道がなされた。
  テレビ東京が取材に来て、先日は「テレビ関西」のニュースでも報道された。(大手ゼネコンの「たいした影響はありません」というウソ宣伝をそのまま流した代物だったが・・・)
   そして本日夜に、大阪の読売テレビから「戸田さんからのFAXで知ったんですが・・・・」と戸田に電話取材があり、「大阪駅ビル工事が今週も停止するんならテレビで報道したい」との話があった。
   
  ストライキ闘争を報道したがらないマスコミも、今回のストライキ闘争の巨大さと長期化にあって、とうとう無視できなくなってきたのだ。この流れをもっと強めよう!

◎この闘争で「闘う労組」とは、連帯ユニオン関西地区生コン支部(通称:関生(かんなま)支部)、全港湾(旧総評系)、生コン産労(旧同盟系!)、そして近畿コンクリート圧送労働組合の4労組である。
 (共産党系の「建交労」は全く関係していない。むしろ4労組にも協同組合にも敵対しているのが実状。)

  以下に、「週刊ダイヤモンド 7月9日号」に関わるネット記事を紹介しておく。 
  <どうなる?建設業界★現場監督だった社長の建設ニュースウォッチング>
   2010年07月10日(土) 16時41分57秒
   ●生コンが、打てない  
    http://ameblo.jp/rise-iwai/entry-10586807919.html
 現場監督だった岩井です。
 生コン1m3当り、1万5千円で仕入れて1万円で売らされている。1万8000円で売らせて欲しい--。
 最近では、あまり聞くことが無くなった「ストライキ」という言葉。大阪府内の生コン業者の7割がストをするというニュースです。
 生コンの流通ルートは入り組んでいて、私も現場監督になりたての頃、何故商社が請求に絡むのか不思議に思ったことがありました。
 
 これ、結構大きなニュースだと思うのですが、メディアであまり取り上げられていない気がします。やはり選挙前だからでしょうか。
 ストに関する労組のニュースも拾ってみましたが、ホント深刻です。
   (近畿コンクリート圧送労働組合ニュース)
    http://www.kannama.com/news3/assou/assou.html
  
■生コン業者がストライキに突入で、大阪の工事が全面ストップの危機
   週刊ダイヤモンド 7月9日  http://diamond.jp/articles/-/8715
 
 大阪府内で「すべての土木・建設工事がストップする」という異常事態が間近に迫っている。
 府内で営業する生コン業者・輸送業者が全面ストライキに突入しているからだ。
 すでに製造を担う生コン製造業者約90社が、7月5日までに無期限の出荷停止を宣言。
工場の操業をストップさせた。これは、大阪府内の全生コン業者の7割に相当する数字だ。
 
 さらに12日からは、生コンをミキサー車で工事現場に搬送する主要圧送業者のほぼ全社にあたる約60社までもが全面ストライキに入ると宣言した。
 このまま事態の打開が図られなければ、事実上、大阪府内の現場ではほとんどの工事が止まることになる。

 そもそもの理由は、生コン業界の窮状にある。
 生コン製造業者は、メーカーからセメントを買い、水や骨材などと混ぜ合わせて生コンを製造。それを商社などを通してゼネコンに販売する。
 そのほとんどが中小零細企業で、地域ごとに組織された共同組合を通じて仕事の受注および生コンの販売を行う。
 各地の共同組合は、組合員への仕事の分担およびゼネコンへの販売価格の交渉を担っている。
 
 ところが、最近生コン業者は「原価割れで生コンを出荷することを余儀なくされてきた」(連帯ユニオン関西地区生コン支部・高英男副執行委員長)という。
 例えば、大阪広域生コン共同組合の場合、組合員の生コン原料の購入価格は1立方メートルあたり1万4800円。これは、14年前と比較すると500円上がっている。
 ところが、販売価格は「ひどい時には1万円を切る価格で取引されている。このままでは大阪府内で生コン会社が大量に倒産する。存続をかけて最後の戦いに踏み切らざるをえなかった」(同)という。
 
 生コン産労・全港湾・連帯ユニオンなどの各関連労働組合は、ゼネコンとの価格交渉を行う生コン共同組合に対し、生コン業者が営業を存続できる1万8000円の納入価格を実現するよう要求。
 交渉が進展するまで無期限ストを行うと通告した。
 
 労働組合の通告を受け、現在、生コン商社、生コン協同組合、ゼネコン間での交渉が続いている。
 国内の建設投資が冷え込むなか、建設資材費の圧縮要求は年々強まっている。
 その末端に位置する生コン業界がついに翻した“反旗”ともいえる。
 「大阪で大規模工事を抱える大手ゼネコンの影響は免れない」(ゼネコン業界幹部)。
 
 市場縮小の痛みを下請けに回し続けたツケがついに回ってきた。
            (「週刊ダイヤモンド」編集部 鈴木洋子)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎戸田ひさよしHP http://www.hige-toda.com/
★連帯ユニオン関西地区生コン支部HP http://www.kannama.com/index-2.html  
☆近畿コンクリート圧送労組HP   http://blogs.yahoo.co.jp/daiatsurou
■他では見れない動画が満載!「戸田のYUチューブコーナー」
          http://www.youtube.com/user/todajimusho
■「中小企業の砦」=協同会館アソシエに関連する「アソシエ動画」
          http://www.youtube.com/user/ASSOCIE0911#p/u
■在特会や三井さん動画のまとめはこちらでも
   「絶対面白い動画コーナー」 http://www.hige-toda.com/_mado05/movie/  
引用終わり

2010年7月21日 (水)

無残。長妻 昭厚労相。政治家であることをあきらめたのか。国民年金第3号被保険者の資格を失うということがどういうことか知らないのか。

日本経済新聞 過去2年分の未納保険料請求へ 厚労相が方針 2010/7/20
引用はじめ
「長妻昭厚生労働相は20日の閣議後の記者会見で、サラリーマン世帯の専業主婦などが加入する国民年金の第3号被保険者が、資格を失った後も保険料を支払っていない事例が数多くあることを受け、時効にかからない過去2年分の未納保険料の支払いを請求する方針を示した。

 厚労省は「年金記録回復委員会で調査したところ、一定の問題があるということだった」と指摘。今年秋以降、該当者に支払いを求めていく考えを明らかにした。

 第三号被保険者は自分で保険料を支払う必要が無い。ただ扶養者である配偶者が会社を退職したり、離婚したりすることで、第3号の資格を失った場合は第1号に加入するための届出が必要になる。日本年金機構によると、届出が必要になることを知らない人が多く、第3号の資格を失った後も、本来は支払うべき保険料が未納のままになっている加入者がいるという。」

配偶者が会社を退職したり、離婚したりした場合、国民健康保険の手続きをしない人が何人いるだろう。年金はさておき、健康保険の手続きをしなければ病院にかかるときに非常に困る事は誰でも理解できる。そのときに大抵年金の手続きにも思いは至る。

国民年金の第1号への届出を知らない人が多いということもにわかに信じる事はできない。むしろ、気にするべきはなぜ、配偶者が退職したのか、その配偶者が再就職できればまた第3号に復活することになるのだが、そうではない人がかくも多いのか。

離婚して生活をしている女性のおかれている立場がどのようになっているのか。母子家庭の多くが生活保護費以下の収入で暮らしているなかで、もらえるかどうかも判らない国民年金保険料を払うわけが無い。いや払いたくても払えるわけが無い。

そういう人々へ機械的に請求書を送付して何が面白い。

厚労相であれば、配偶者が雇用の破壊により失業し、仕事が見つからず、酒におぼれ、妻や子供に暴力を振るい、家庭がめちゃくちゃになるという状況が日常茶飯であることに気づいているはずだ。やっと暴力夫から逃げだし、離婚にこぎつけてもその先の生活がいかに困難かということを知っているはずだ。子供への虐待という表層的な問題の露出の影に、失業や非正規雇用による生活の不安定化により、大人の親がいかに容易く壊れてゆくかを知っているはずだ。もし知らないとするならば、すでに政治家として、大臣として終わっているということだ。

知っているのにこのような誰でもできる対処療法しかできないとすれば、大臣である必要も政治家である必要もない。
現象として現れる問題の背後に隠れている本質的な課題を抉り出し、根本的な課題解決には何が必要かを政策としてまとめあげ実行することが政治家、大臣の仕事ではないのか。

児童相談所にどんな権限を与えても問題の本質の解決にはならない。そこに横たわる、雇用の不安定、貧困、借金、公教育の劣化による大人の自己防衛力の欠如などの問題。とても一つの行政窓口では対応のできない複合的な問題。しかし、雇用の安定でほとんどが解決する問題。まさしく厚生労働省の独壇場ともいえる課題領域に、それほどまでに無力になってしまったのか。長妻昭。ミスター年金の名をほしいままにしていた男の無残な末路。

菅政権の閣僚は長妻大臣よりも劣悪である事は間違いがないと思う。何とか頑張って欲しいと思っていた。残念である。

2010年7月20日 (火)

国家戦略室格下げ、予算編成を仙谷、玄葉、野田にまかせる、その予算編成の概算要求基準は一律一割削減。現政権の劣化の加速度が尋常ではない。

すでに記憶が薄れ始めている参議院選挙だが、印象として残っているのは民主党の掲げた争点は国民の懐具合ではなく、国庫の懐具合だったといことだ。国庫の懐具合がギリシャ並みになり、社会保障がガタガタになっても良いのかという、社会保障人質論による恫喝がその主張の中心だった。

結局、国民の窮状をどのように解決するか、という現実に即した政策理念は無く、財政の健全化のみが目的化された。

これに対して国民は、この国の現状を何とかしてくれという意思表示を示し、民主党を選挙で大敗させた。

しかし、民主党の閣僚も幹部も開き直って居座りを決め込み、何事も無かったかのように、国の根幹である予算編成を、政策理念もなく粛々と進めている。

そして、国家戦略室を格下げし、予算編成を仙谷、玄葉、野田にまかせ、予算編成の概算要求基準は一律一割削減だという。

IBTimes 予算編成に新たな司令塔を模索、仙石長官や玄葉政調会長を軸に調整
2010年07月19日 18:53更新
以下引用
「政府は19日、予算編成や税制改革など重要政策の総合調整などの組織を内閣官房に新設する方向で検討に入った。
 政府・民主党で政策調整を担う仙谷由人官房長官と民主党の玄葉光一郎調会長(公務員改革相)のほか、野田財務相ら主要閣僚が加わり今月中にも発足させる構えと見られている。
 荒井聡国家戦略・経済財政担当相は16日の閣議後の会見で、国家戦略室の機能を縮小する方針を打ち出し、法的根拠がないまま各省庁の調整・折衝を行うことに限界があるとして「(衆参の)ねじれで難しくなってきたことがあり、現実を前提として首相直属の助言機関にした方がいいと考えた」と述べていた。」
引用終わり

時事ドットコム 一律1割削減に異論噴出=20日に骨子を提示-概算要求基準
以下引用
「野田佳彦財務相は20日の閣議後の閣僚懇談会で、2011年度予算の概算要求基準(シーリング)の骨子を各閣僚に提示する。厳しい財政状況を踏まえ、各省庁に対し社会保障費などを除く政策的経費について一律1割程度の削減を要請する方針だ。しかし、一律削減方針には閣僚の間から異論が噴出しているほか、民主党内には予算規模の維持を求める声が高まっており、政府が目指す月内の閣議決定が遅れる可能性もある。
 一律1割削減は、国債費を除く一般会計の歳出を10年度並みの71兆円に抑えつつ、医療・介護や環境などの成長分野に重点配分する最大1兆円の特別枠の財源を確保するのが狙い。既存予算の削減に成果を上げた閣僚にはこの特別枠を優先的に配分し、予算の大幅な組み替えを促す。
 ただ、一律削減方針に対し、前原誠司国土交通相が、10年度予算で既に前年度比18%減と大幅削減した公共事業費を例外扱いするよう主張。また、農家の戸別所得補償の完全実施のため1兆円規模の予算が必要な山田正彦農林水産相は「(省庁ごとに要求額の上限を設ける)かつてのシーリングみたいなものはできない」とけん制する。
 政府関係者は「ある事業で予算を削られても、他にいい事業を出してくれば予算を取ることができる。不満のある省庁は自信がない証拠だ」と強調する。しかし、参院選大敗で首相の求心力が低下する中、閣僚の予算要求を抑え込むことができるか不安視される。(2010/07/19-19:24)」引用終わり

国の課題への認識を明示するわけでもなく、その解決策を示すことも無く、ただ財政の縮小均衡を図ろうとしているだけだ。

業績の悪化した子会社の無能な経営陣とそっくりだ。その子会社としてのミッションも経営理念も自覚すること無く、業績改善の戦略を策定する能力も、その戦略を実行する意欲も無い。親会社にいわれるまま、自らの保身のために、首切り、リストラに汲々とする惨めな惨めな役立たずの経営陣。その行く末やいかに。ますます業績が悪化し結局、他社に安値で叩き売られる憂き目を見る。もちろん親会社はアメリカ、財務省。他社とは金融博徒の面々だ。

記事を見る限り、一生懸命予算を削った閣僚にご褒美として特別枠から予算をつけましょう、というだけの話だ。どのような理念で予算を削り、どのような理念で予算を増額するかという理念が何もない。「政府関係者は「ある事業で予算を削られても、他にいい事業を出してくれば予算を取ることができる。不満のある省庁は自信がない証拠だ」と強調する。」という政府関係者の「他にいい事業」という言葉にそれが如実に表れている。まるで、報償旅行を飴玉に、ノルマで尻を叩かれる営業社員のようだ。出来損ないの営業会議のようだ。課題の明示、解決の方針が無いところで、「何かいいアイデアは無いか?」という問いかけがどれほど無能さの証明であるか、何の意味も無い、下らない会議に何度も参加したことのあるものならば誰でも理解するだろう。

現政権の劣化の加速度が増している。心ある国会議員の方々は座して死を待つつもりなのか。これほど虚仮にされている国民は黙って見過ごすつもりなのか。

2010年7月19日 (月)

The Great Gig In The Sky

2010年7月18日 (日)

雇用規制の破壊は企業の「甘えの構造」自白偏重は警察の「甘えの構造」 どちらも国民の生活を徹底的に破壊する。誤認逮捕の蔓延

DNA情報の誤登録で誤認逮捕、科捜研の文書取り違え原因2010/07/16 11:03 【神奈川新聞】以下引用
「横浜市旭区の飲食店で2009年11月に起きた窃盗事件の捜査で、県警が誤登録されていた個人のDNA型情報を基に事件と無関係の30代男性の逮捕状を取るなどした問題で、県警は15日、県警科学捜査研究所(科捜研)で07年に鑑定結果の文書を取り違えたのが誤登録の原因と発表した。その後の捜査で飲食店にあった遺留物の人物が特定できたとして、県警は同日、窃盗の疑いで、住所不定、無職大井貴夫容疑者(49)を逮捕するとともに、男性にあらためて謝罪した。

 刑事総務課によると、同容疑者と男性の鑑定文書を取り違えたのは07年11月。別々の事件の捜査で採取された2人の検体について、同じ日にDNA型鑑定を行った際、男性の鑑定嘱託書に誤って容疑者の分析結果を添付し、それを基に鑑定書を作成した。このため警察庁のDNA型データベースには、男性の名前で容疑者のDNA型が登録される形になっていた。

 県警は当初、検体を採取した警察署段階のミスとみていたが、実際は「科捜研での人為的ミスだった」としている。2人の鑑定は、同じ男性鑑定員が行ったという。

 女性経営者のショルダーバッグ(現金約3万3千円など在中)が盗まれた旭区の窃盗事件の捜査では、店内に残された遺留物から鑑定を実施。データベースを検索したところ、男性の名前で登録されていたDNA型と一致したため、今年1月に逮捕状を用意した上で男性宅を家宅捜索した。任意同行を求め、事情聴取を行った際、男性の了解を得てあらためてDNA型鑑定を行ったところ、データベースとは別人との結果が出たため、男性に謝罪した上で再捜査を進めていた。

 同容疑者は県警の調べに対して、黙秘しているという。

 県警は誤登録の判明後、それまで1回だったDNA型鑑定を2回行うようにするなどの再発防止策に乗り出している。常盤一夫刑事総務課長は「何の関係もない人にご迷惑をおかけし、あらためておわびする。適正捜査を徹底していきたい」とコメントした。」
引用終わり

この記事ではDNA鑑定書が科捜研の人為的ミスで取り違えられていたことが報道されており、これはこれで、大変怖い話なのだが、もう一つ注目したい点がある。
警察はDNA型が一致したことのみを根拠に、何の裏付け捜査もしていなかったということだ。裏付け捜査もせずに逮捕状を裁判所に請求し、裁判所も令状自動販売機なので何の疑問も無く逮捕状を発給したことが見て取れる。
なぜか。逮捕状を用意した上でガサ入れまで行っているくせに、逮捕ではなく任意同行を求めているからである。逮捕できなかったのだ。嫌疑を受けた男性にちょっと話を聞いただけで、逮捕状を執行することが非常にやばいことを捜査員は直ちに読み取ったのだろう。例えば男性が完璧なアリバイを主張するなど。
要するに、DNA型が一致したことのみを唯一の証拠として自白を迫ればこの件は一件落着だと過信し、本来行うべき裏付け捜査など一切手を抜いていたのだろう。

 この記事を掲載している47NEWSというのは大変便利なサイトだ。「「誤認逮捕」の記事が160件あります」とあるのでこれをクリックすると出るは出るは。

茨城県警が窃盗事件で誤認逮捕 日系ペルー人男性を
わいせつ容疑で誤認逮捕 宮城県警
大阪府警が男性を誤認逮捕 アリバイ、裏付け捜査せず
米子署が誤認逮 捕器物損壊容疑で 
警視庁、万引で女性を誤認逮捕 遺留品捜査怠る

などなど。報道されるのは氷山の一角。ゴキブリのようにこの何十倍、何百倍も同じようなケースがあるのではないか。

どれも、これも捜査の手抜きだ。なぜこんなことがまかり通るのか。理由は自白に頼れば楽ができるからだろう。きちんと証拠を集め、犯罪事実を暴き、真犯人を逮捕することに警察が存在する目的があると思うのだが違っていたようだ。自白に頼れば、地道な捜査など面倒なことこの上ない。それよりも警察の描いたストーリーに基づき供述を引き出し、それに見合うだけの証拠をちょろっと収集すれば事は足りる。冤罪事件の典型的なパターンだ。冤罪の卵はそこここに転がっているということだ。

自白偏重は警察の「甘えの構造」である。基本的な裏付け捜査、証拠収集などの警察の基礎を破壊する「甘えの構造」である。そして、冤罪が蔓延し、真犯人はのうのうと町を闊歩するわけである。

ろくな捜査もしない警察、切り札としてのDNA鑑定の杜撰さ。そして時効制度の廃止。取り調べ可視化への抵抗。こんな「甘えの構造」を許していて、真犯人が逮捕できるのか。真実を暴けるのか。冤罪がまかり通れば犯罪被害者だって浮かばれない。こんな「甘えの構造」で被疑者に仕立て上げられ、犯人視報道で人生をめちゃくちゃにされ、最悪獄に繋がれる冤罪被害者も浮かばれない。

冤罪事件でのうのうと生きているのは真犯人と警察、検察、裁判所のお役人どもだ。日本人はお役人の給料待遇には随分手厳しい。しかし、最も強力な公権力を行使するお役人には随分と寛大だ。「甘えの構造」を維持することに汲々とする行政府、国会にはあまり文句が無いらしい。大層不思議なことである。

2010年7月17日 (土)

口蹄疫問題。国の行政権力による殺すぞという脅し。県の行政権力トップによる裏切り。

ここでは、部外者である僕が賢しらぶって何かを言うつもりは無い。酪農も農業も生業としたことの無い、僕のような人間には、ただただ、怒りと悲しみへの手前勝手な共感を示すしか術が無い。口蹄疫問題に対して真摯な提言を続けている濱田 幸生さんの「農と島のありんくりん」「宮崎口蹄疫事件 その54  東国原知事の背信と薦田さんの孤立」エントリー全文を掲載する。
以下引用
「昨夜のテレビニュースで見た宮崎県の種牛農薦田さんはやつれ果てていました。松葉杖を引いて現れ、「国家権力がやれというんだから仕方がないだろう」、「県知事から明日10時までに処分の決心をしてほしいと言われた」と言葉少なに語りました。

今日の10時までが期限だそうです。想像がつきますか、今、薦田さんにのしかかっている重圧を。

「日本農業新聞」(7/14)には「早期処分要求」としてこんな記事が載っていました。

「宮崎県川南町などワクチン接種地域の畜産農家の代表らは13日、宮崎県庁を訪れ、早期に民間種雄牛を処分するように求めた。JA尾鈴畜産組織連絡会の江藤和利会長は県への要請後会見し、「特例を求めると今後の口蹄疫対策に禍根を残す」と県の対応の甘さを指摘した。
要請書では、①民間種牛所有者が経営する別の農場で疑似患畜が見つかっていることから種牛を飼育する農場も家畜が殺処分対象となる関連農場なのではないか、②県の防疫体制の甘さは、OIE(国際防疫事務局)野清浄国復帰の障害となる、と訴えている。」

一週間ほど前の薦田さんは、「この種牛がわしの命だ。これを殺されたら死ねというのといっしょだ」と語気強く語っていました。それから約1週間。知事と大臣の直接対決があり、そしてこの川南町の畜産農家を含む畜産組合からの要請文が出ます。そして知事が決めた16日の移動制限解除のリミットが近づきます。

薦田さんは国と県というふたつの権力、16日というタイムリミット、そして自らが住む地域の同業者にまで十重二十重に追い込められたのでした。

私はこのような個人の農家に最後の決断を迫る国や県のやり方を憎みます。
農水大臣はこういう言い方をします。
「県がワクチン拒否をして処分に応じない農家と同調しているのだから、国が代執行せざるを得ない」。
一方県知事はこのように切り返します。
「そもそもワクチン接種は国が押しつけたものだ。目視検査して県所有にすれば問題がないはずだ」。

東国原県知事はこのような国への申し出をする一方、種牛所有者の薦田さんには「16日午前10時までに処分する決断してほしい」と電話をしていました。これがほかならぬ薦田さんの口から明らかになってしまいました。

やんぬるかな・・・。このような行為を、私は背信行為と呼びます。もし、東国原知事は持論である、「種牛は県の至宝」という主張を通したいのならば、国に代執行をさせるべきでした。

国の農水省の執行官に薦田さんの種牛を殺処分する様に立ち会い、全国にその非を訴えるべきでした。それを前日になって腰砕けになるとは!そして弱い老人の背中に、国との対決を背負わせるとは!

薦田さんの息子さんから「県への無償譲渡」などという破格の条件を受けながら、その意志を継がず、最後の最後のどん詰まりとなると豹変して、「自分で決断してくれ」と圧力をかけるとは!

ならば、初めから県所有の種牛で騒がねばいい。そもそも宮崎改良事業団の防疫の失敗から種牛を感染させたのは県の責任ではないですか。

10年前の口蹄疫事件の総括の中に、「種牛は貴重なので、一カ所で飼育しないで分散飼育する」ということがあったにもかかわらず、それを履行せずに今回の失敗を招きました。

あるいは、川南の県試験場の豚感染爆発が川南地区全体の畜産を全滅に追いやったことと加えて、どうしてこうも県はバイオセキュリティが甘いのですか。県の畜産施設は指導機関であるにもかかわらず、それがかくも何度にも渡って破綻したのはなぜなのでしょうか。

県知事はその失敗を糊塗するために、「県種牛は宮崎の至宝」という主張をし、殺処分を政治問題化させてしまいました。これは情緒的には国民を納得させる論理ですが、諸刃の刃でした。

そうでしょう。この論理を延長していけば、当然薦田さんの私有種牛も処分するわけには行かなくなります。しかし、そうすれば、とうぜんのこととして清浄化は先延ばしになり、知事が熱望する非常事態宣言解除という「擬似終息宣言」を打つことができなくなってしまいます。

まさに自縄自縛。そこで、薦田さんに秘かに電話をして、「明日10時までに自分で決断してくれ」と頼んだわけです。薦田さんが自主的に決断をするなら、知事は傷つかない。メンツが保てるというわけです。たいした「政治」です。

県に防疫上の責任を負わせ、本来国が責任をもって執行すべき処分を「代」執行するとうそぶく山田農水大臣。
自分の失敗の苦しいつけ回しをひとりの農家に押しつけた挙げ句、登った梯子をはずして恬として恥じない東国原県知事。

このような人たちを私たちはなんと評したらよいのでしょうか。」
引用終わり

2010年7月16日 (金)

東京第一検察審査会 小沢氏不起訴不当議決。その背後にある闇にもっと目を凝らせ。検察審査会という制度自体にある欠陥をもっと恐れよ。

検察審査会のHPを見てみると2009年に起訴相当議決が11件、不起訴不相当議決が113件出ている。しかし、どのような事件に対し、誰が審査を申し立て、結果どのような結論に至ったかは全く不明である。メディアが注目する事件についてのみ議決要旨が明らかにされ、あとは一切闇のなかである。

新たな冤罪が生まれているのかどうかも、一般国民は知る術もない。

審査申し立ては告訴、告発した人のみならず、「犯罪により害を被つた者」(検察審査会法第二条2)も申し立てができる。

例えば、自分が全く関与していない事件の容疑で警察に引っ張られ、連日の長時間に及ぶ取調べで自白調書に署名をしてしまう。ここで、マスコミは警察リークの犯人視報道で被疑者の社会的生命を抹殺する。
しかし、警察はどうしても犯罪を立証する他の直接証拠を見つけることができない。検察は嫌疑不十分で不起訴処分とする。本人は嫌疑が晴れ、失った社会的信用を取り戻そうと活動を始めた矢先、犯罪被害者から検察審査会へ審査の申し立てがされ、受理される。

抽選で選ばれた、たった11人の「善良な市民」が完全な密室のなかで審査を行う。そこで行われていることは誰も知ることができない。憲法で保障されているはずの不利益処分に対する当事者への「告知と聴聞」も行われることは無い。

不起訴不相当議決が出れば、検察は再捜査を行う。またやってもいないことについての聴取やガサ入れが行われる。検察は、今度は、自白調書のみで起訴する。被疑者は被告人となり完璧に社会的生命が抹殺される。

国選弁護人は全くやる気が無く、情状酌量で執行猶予を取りにゆく。仮に執行猶予がついてとしても、その記録はいろいろなところに出回り、仕事も無く、賃貸アパートも借りることができず、路上に放逐される。

マスコミ報道は検察審査会自体の欠陥については一切報じない。
検察審査会法第一条 で 「公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図るため」と謳いながらも、「検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項」にのみ民意を反映させてやるが、検察官の「起訴すべきではないのに起訴をする」という処分については「民意」は一切手を出させないという不当性を指摘する声はない。これほど冤罪が多発し、捜査の不当性が暴かれているにも関らずだ。捜査の可視化も全く進まない状況下、この全くの片手落ちの制度が極当たり前のこととしてまかり通る。

しかも、この審査は全くの密室で行われる。憲法で保障されているはずの不利益処分に対する当事者への「告知と聴聞」も行われることは無い。憲法違反の可能性が高い制度であることも誰も問題にはしない。

そして、どんな議決がされているのかも一般市民は知る由も無い。有名事件の議決要旨を報道で知ることができるだけだ。

その議決要旨を見ると、今までの刑事司法での枠組みを「善良な市民が」軽々とぶち壊し、不当に犯罪事実の拡張を図っていることがわずかに垣間見える。

刑法にも規定されていない「共謀共同正犯」。それ故、裁判所は共謀の事実の「厳格な証明」を求めることにより、かろうじて判例法理として成立させてきた。スワット事件で、「厳格な証明」を「黙示的意思連絡があれば足りる」ということに不当に拡張したが、この法理適用は反社会的勢力、ヤクザの親分に限定するということで、ここでもかろうじて法理として認められた。
小沢氏の起訴相当議決では上記法理が一緒くたにされ「誰もが、共謀の事実を厳格に証明しなくても」「共謀共同正犯」は成立するという破壊的な法理を創り出した。意外なところで「共謀罪」が復活したのである。罪刑法定主義、刑罰の謙抑性など、公権力が恣意的に国民を弾圧する手段として刑罰を行使してきた長い歴史の反省に立って磨き上げられてきた、刑事司法の原則が、抽選で選ばれたたった11名の匿名の「善良な市民」によって粉々に打ち砕かれた。(詳細は当ブログ5月26日 5月27日のエントリーをご参照ください)

刑法学者や憲法学者や法曹が色をなしてこれに続々と抗議をしたという報道は無い。

そしてこのような欠陥制度のむちゃくちゃな運用により、小沢氏という国民から選ばれた政治家の手足が縛られている。

小沢氏が良い、悪い以前に、こんな酷い制度で政治家が拘束されること、民主主義の破壊を許していることを問題にしているのはごく一部の人々、大部分の人々にとっては検察審査会制度はすでに所与の前提となっている。自分がいつその罠に嵌るのかという危険には無頓着に。

小沢氏の今回の不起訴不当議決でも同じ報道が繰り返される。そして、不気味な沈黙を保つ民主党執行部、閣僚の面々は9月の代表選後に先延ばしされそうな第五検察審査会の2回目の議決にほくそ笑む。落選議員の千葉を法相に留任させた効果を噛み締めているのだろう。

起訴相当の議決が拘束力を持ったのは、もっぱら小沢氏の政治生命暗殺のためであるという陰謀論も、この検察審査会の制度欠陥、それを所与の前提としているマスコミを見ていると、あながち間違いではないと思えてくる。それほど酷い。
今日の朝日の社説を見てみると良い。市民の感覚を騙る検察という権力の恐怖に対する批判など微塵もない。治安維持法下、特高警察と隣組の「善良な市民」が同衾してどれほどの悲劇が生まれたかという、歴史への眼差しの片鱗さえない。

そして、予算案の策定は粛々と行われ、国民生活の破壊は今この時点でも進行し、絶望した多くの人々が自ら命を絶っている。

2010年7月15日 (木)

最低賃金、12都道府県で逆転 生活保護下回る。生活保護制度が機能しているか?最低賃金制度が機能しているか?その検証をなおざりにして、最低賃金が生活保護を下回っているなどという議論に意味があるか?

生活保護制度も最低賃金制度も国民の健康で文化的な最低限度の生活を保障する上で重要な制度だ。国民の最後のよりどころとなるべき制度だ。

最低賃金、12都道府県で逆転 生活保護下回る2010年7月14日 18時58分東京新聞

ほーそうかね。だからどうした。
 
 厚生労働省は自らの調査で生活保護費以下の収入しか得ていない世帯が約705万世帯、そのうち生活保護を受給している世帯は15%だという調査結果を今年の4月に公にしている。これで生活保護制度が立派に機能しているといえるか?

 最低賃金制度は確かにある。違反すれば罰則規定もある。最高たった50万円の罰金だが。
労働基準監督署へ通報したことによる不利益の禁止規定もある。その仕事を失えばあっという間に路上に放逐される恐れが無ければこの規定も有効だろう。
 それより、最低賃金制度があることは知っていても無視する経営者、唯々諾々と最低賃金以下で働かざるを得ない人々がどれだけいるのかは調べたのか?

 現在この両制度はお互いにまともに機能していないということで、労働者に塗炭の苦しみを与える素晴らしいシナジー効果相乗効果を挙げている。

 生活保護制度については、言うまでも無く、巧妙な水際作戦がまだまだ展開されている。事情をきちんと聞き取ればどう見ても生活保護の要件に適合しているケースでも、相手の無知に付け込み、一人で申請に行った場合はまず間違いなく追い返される。一人で生活保護申請を成功裏に終わらせるためには、相談窓口でいきなりぶっ倒れ、気を失うことが最も効果的、と思えるほどだ。役所の外でぶっ倒れてはいけない。死ぬまで放置される。
 極端に言えば生活保護申請の付き添いなど楽なものだ。きちんと相談者の状況を把握し保護の要件に合致していることを確認すれば、役所には断る術など無い。支援者が申請者の隣で木偶の坊のようにぼーっと突っ立っているだけで、役所は対応せざるを得ない。幾つか役人が聞き取りをして、相談室に入ればほぼ100%申請に至る。相談室でも支援者は黙ってぼーっと座っていれば良い。あとは役人が聞き取りを進め、断る理由が無いと観念するのを待てばよいのだ。そんなケースはいくらでもある。

 生活保護制度がまともに機能していないおかげで、最低賃金法、労働基準法を潜脱する違法な雇用形態が蔓延するのである。

 最低賃金制度について知っている人はどれだけいる。仮に知っていたとして、労基署にちくってまともに労基署が動くか?ブラック企業へ電話一本入れるのが関の山ではないのか。逮捕権限や令状無しのガサ入れ権限まで持っているくせに。
生活保護世帯への周囲の無理解と差別、実際に申請に行っても門前払い、しかも、最低賃金の周知も図られず、労基署も見て見ぬ振りで、どれほど多くのブラック企業が大手を振って、最低賃金になど及びもつかないただ働きで労働者をなぶりものにしていることか。

建築現場でのタコ部屋、デリヘルのタコ部屋。大抵ヤクザが絡んでいる。相撲賭博などかわいいものだ。タコ部屋よりサッカー占いタコが大事か?
寮に閉じ込め、個人請負の形をとって、法外な寮費を毟り取り、過大なノルマを課してただ働きをさせ、仕入れを社員のローンで払わせる。もちろん雇用保険、健康保険、年金など皆無、などという押し売り営業会社もごろごろある。
若者も就職の時点で、社会への旅立ちの時点で、この違法就労に叩き込まれる。正社員として雇用されると思って就職する。試雇期間と称して、過大なノルマを与えられ何の教育も受けずに飛び込みセールスを強要される。ノルマ不達成だと即解雇。親類縁者に無理やり押し付けてノルマを達成しても正社員ではなく個人請負。しかも、どんな雇用契約かも明らかにされず、本人もよくわからない。せっかく就職した会社、文字通り血の小便が出るほど頑張り、結局ゆき詰まって脱落する。あとはフリーター、ニート、引きこもり、自殺、親殺し、子殺し。
ブラック企業は何も困らない。生活保護制度も最低賃金制度も全く機能していない、まともな仕事が見つからない状況で、何とか食うためにと募集に応募する人に事欠くことは無いのだ。おまけにハローワークまでがそんなブラック企業の募集を堂々と案内する。

テレビを賑わす集中豪雨。都市部の店舗の水没。ブラック企業は舌なめずりをして笑っている。これでまた安くこき使える解雇者が濁流のように放逐される。

ブラック企業のバックにいるのはヤクザだけではない。その企業の社長の親類に地方議員がいることも稀ではない。警察関係者が親類にいることも稀ではない。

そして、最も問題なのは、まともな商売をしている同業者がこんな腐れ切ったブラック企業に駆逐されていく実態だ。話は労働者の雇用だけではない。健全な中小企業が死滅してゆくことがどれほど地方を疲弊させていることか。

あまりに酷い雇用条件に、寮から逃げ出して、路上で生活し、生活保護申請に至る人が、同じブラック会社からあとからあとから出てくる。さすがに役所もおかしいと気づいているが、管轄が違えばほったらかし。とうとう、その会社が訪問販売法違反(労基法違反でも最低賃金法違反でもない!?)で警察にパクられて、はじめて警察に情報提供するのが関の山だ。

研修と称して外国人を奴隷のように使役する。過労死にまで追い詰める。奴らにとっては我が同胞に対しての仕打ちと同じことだ。何が悪い?ということだ。

厚生労働省の高給役人の方々、審議会の先生方、どれだけ報酬もらっているか知らないが、実態を調べたのか、理解しているのか、それとも見てみぬふりか。お前らが慮っている中小企業とはどんな企業なのだ。

最低賃金が生活保護を下回ることを問題にするマスコミ。だから、生活保護費を引き下げろ?それとも善人面して最低賃金を上げるべきだ?ふざけるな。もっと実態を取材しろ。労働現場で何が起こっているか、特に若者がどれほど虐げられているかを。これでもかというほど徹底的に取材しろ。
それともヤクザや議員やデスクが怖くて取材もできないか。
 
相変わらず政治ごっこの茶番を続ける政治屋ども。お前らのやっていることがいかに下らない、意味の無いことだと知っている国民は、憤怒に身を震わせている国民は、お前らの貧困な想像力をはるかに超えて、大反撃の機会を狙っていることを知れ。

2010年7月13日 (火)

菅総理、成長戦略の例示が中国観光客観光客に対するビザの要件緩和。今国政を牛耳っている奴らには困窮している国民の姿が全く見えていない。

民主党の完敗が決まったあとの会見で菅総理は辞める気が無いことを無表情に言い放った。もう一つ記憶に残っているセリフがある。
asahi.com消費税「事前の十分な説明足りず」菅首相会見 詳報2010年7月12日1時57分より抜粋
「成長戦略の具体的な中身。もうすでに、例えば、7月1日には中国の観光客に対するビザの要件を緩和するといった、いろいろなことが進んでいる。そういう具体的な政策実行を通して、国民の皆さんの期待に対して、しっかりと応えていきたい、このように考えております」
 抜粋終わり

日本の同胞の700万世帯が生活保護費以下の生活を強いられている。非正規雇用は3割を超えた。将来の不安におびえる人々は百均やディスカウントストアーで爪に火をともすように節約に努めている。デパートなどにはめったに行けない。というより地方では老舗デパートがどんどん消えてしまった。
大店立地法の導入で中心市街地がシャッター街と化し、店をたたんだ店主夫婦が、店舗も売れず、極貧の生活を強いられている。そして、郊外大型店舗も消え始めている。その周りに群がった小規模店舗も道連れに空き店舗のオンパレードだ。

そして、このような自国の同胞の窮状には目もくれず、成長戦略で真っ先に頭に浮かぶのが中国の観光客に対するビザの要件緩和だとお!?

こんな奴が総理でのさばる限り、地方の疲弊は止まらない。GDP世界第二位、個人金融資産1,400兆円の貿易黒字国の成長戦略が外国人旅行者の買い物だってさ。

何度でも言うが、雇用規制の修復が成長戦略の要だ。消費が増えれば新たな商売の種が増える。新たな需要を取り込めない企業は遠慮なく退場していただく。ここでこそ連帯保証人制度の廃止は生きてくるだろう。企業の有限責任を現実化し、事業主は再起を図れるようにする。つぶれた会社の従業員には再就職の訓練と最低生活の保障をきっちり行う。
とにかく今問題なのは仕事が無いことだ。仕事が無いから、生活保護から抜け出せない若い人々が沢山いる。きちんと国の末端まで金が回るようにすれば余計な社会保障費などかからなくなる。

総理大臣とか、国務大臣とか、党の幹部という輩は、一体何を見て生きているのだろう。テレビ、新聞、雑誌、漫画を読んで自慢していた首相もいたっけ。そして、官僚、財界、支持団体の幹部から話を聞き、地元に帰れば後援会幹部にちやほやされ、実は、この国の惨状を全く体感していないのではないか。いろいろなデータを見ても、実体験として理解ができないから、容易く消費税増税などを持ち出し、ギリシャの借金と日本が同じなどという嘘を鵜呑みにしてしまうのではないか。
日本の成長戦略(戦術ではない国家戦略だぞ)に外国人の消費を当てにするなどという発想はどこから来るのだろう。恐らく、少子高齢化社会では内需は期待できないなどという財界の世迷いごとを吹き込まれているのだろう。輸出が頼みの綱の大企業幹部の話ばかり聞いてるから、そんな貧しい発想しかできないのだろう。

これはかなり深刻な事態だ。どんどん増えている貧困層に政府は一顧だに与えないということだ。地方自治体というもっと身近な公権力、私的権力としての雇用主。こいつらを標的とした貧乏人、役立たずの叛乱「貧乏人の逆襲」「素人の乱」をいろんなところで継続的に起こしていかなければ本当に縊り殺されるかもしれない。
下手に地域主権だの道州制だのを導入されると、地方に借金ばっかり押し付けられて、残ったパイを官僚天下りの知事と上級地方公務員、地方の資産家議員が食い合って、庶民の惨状はもっとひどくなる。
そんなことになる前に自分の住んでいる市町村、県の財政状況を把握し議員候補に直接論戦を挑む必要がある。役人に言うことを聞かせる術に磨きをかける必要がある。
労働組合が会社の作った制度だと誤解するのは、御用組合のやってることを見ていれば仕方がないが、第二組合は自分でも作れる。作るのが無理でも一人でも加入できる一般労組の協力得て団体交渉もできる、位は知っておいたほうがよい。雇用契約という人生の大半を依存する基本的な私的契約において、法律が労働者保護に未だ使える規定を残していることを知ったほうがよい。国政に絶望しても地方公権力、私的権力との闘いをあきらめてはいけない。あきらめれば地域主権などあっという間に砂上の楼閣となる。

まず、自分のために闘うべきだ。企業に迎合するための能力開発だけが闘いではない。連帯して果実をもぎ取る術を身につけるべきだ。

落選議員の千葉まで続投?枝野は責任を問われず?民主党政権は「薄気味悪さ」を通り越し「妖怪じみた怖さ」を感じさせる。官僚主導宣言「行政の継続性という観点」

今日はまずお礼から。インビクタスさん、阿修羅、晴耕雨読に拙ブログをアップしていただきありがとうございます。ツイッターで取り上げていただいた方々にも感謝です。

 さて、昨日のエントリーでは菅総理が続投するというので「薄気味悪い」という表現を使った。今では民主党に「妖怪じみた怖さ」を感じる。

asahi.com民主執行部、9月まで維持 首相ら確認 党内には責任論2010年7月12日
以下引用
 菅直人首相(民主党代表)は12日午前、参院選敗北を受け、首相公邸で仙谷由人官房長官、枝野幸男幹事長と今後の対応を協議し、現在の執行部体制は当面維持する方針を確認した。落選した千葉景子法相は留任させ、党役員人事や内閣改造は9月の代表選後に先送りする。民主党は同日夕の役員会で、こうした方針を確認するが、党内には執行部の責任を問う声も強い。
 首相は午前10時の出邸をとりやめ、公邸にこもって仙谷、枝野両氏と協議した。仙谷氏は終了後の記者会見で、代表選前の人事について「いじらないということか」と聞かれ、「原則としてそう受け止めていただいて結構だ」と述べた。千葉法相については「行政の継続性という観点から続けていただくことが望ましい」と語った。
 また、選挙責任者の枝野氏の進退については「総理も私も短兵急に、せっかちに人事問題まで言うことはない。謙虚に受けとめ、何に問題があったのか批判しつつ、厳しい状況の中で解決していくのが本来の政治」と述べた。」
引用終わり

民主、野党と事前協議を検討2010年7月12日(月)17時5分配信 共同通信
以下引用  
「民主党は12日、参院選で与党が過半数割れしたことを受け、政府提出法案の成立を確実にするために、提出前に主要法案の内容をめぐって野党側と協議する方向で検討に入った。また同日の党役員会では、参院選を指揮した枝野幸男幹事長の責任は問われず、枝野氏は続投を表明。」

 千葉の続投を「まあ、妥当な判断だ」、とか「当然でしょう」とか思う人は何人いるのだろう。いくらなんでもそれは無いんじゃない?と思う人のほうが多いと思うのだが。
 内閣改造も9月の代表選まで先送り。しかも、党役員会で枝野は責任も問われない。

こんな民主党に、僕は「薄気味悪さ」を通り越して「妖怪じみた怖さ」を感じるのだ。

選挙で大敗したのに、内閣も党役員会も、おまけに落選議員の千葉まで続投だという。
当然、なぜ?という素朴な疑問が湧く。なぜそこまで現行体制に執着するのか?メディアはこのような素朴な疑問には応えてくれない。またまた、妄想含みの勝手な推論を書くしかない。

上の新聞記事から次のことが解る。
行政権力のトップである菅、官房長官の仙谷は、国権の最高機関である国会、主権者国民から信託された権力よりも「行政の継続性の観点」を重視するとぬけぬけと言い放っているのだ。

これは、官僚の論理と同じだ。

国会議員などという、下賎な国民に選ばれた有象無象など関係ない。我等高給官僚による「行政の継続性」が選挙などに左右されて良い筈が無い。権力の主は高給官僚なのだ。

この論理に菅内閣も民主党役員会も跪拝している。

傍から見ていると、菅内閣も、党役員も、この先ただで済むとは思えない。しかし、そんな外野の心配や期待には頓着なしに、内閣、民主党の幹部は無表情に、ぬるりと内閣改造、党役員人事の先送り、落選議員の千葉の続投を決める。この痛覚の無さが、妖怪じみているのだ。
 
そもそも「行政の継続性の観点」とは何か。文字通り、国会議員が選挙の洗礼を受けようが受けまいが、行政権力は何の影響も無く継続されなければならないということだろう。
それではなぜ行政の継続性が必要なのか?
短期間で行政の対応がころころ変わると国民の間で混乱が起こるからというのがもっともらしい答えだ。しかし、国民はこの内閣に居座られるのを嫌ったから民主党を敗北させたとも言える。内閣の陣容が変わったほうがまだ納得できる。

行政の継続性を最も重視するのは、国民ではない。

今回の選挙で最も特徴的だったのは沖縄の基地問題が全く争点にならなかったことだ。というより、沖縄切捨て選挙だった。辺野古への基地移転については8月末までに位置と工法の検討を完了させることになっている。アメリカにとっても「行政の継続性という観点」は重要だろう。

選挙:参院選 海外反応 米、「普天間」への影響懸念毎日新聞 2010年7月12日 東京朝刊 以下抜粋
「日米両国が「8月末まで」と期限を決めた普天間飛行場の具体的な移設場所や工法に関する協議が横たわる。反発する地元・沖縄を押し切り両政府が合意するには、相当な政治的エネルギーが必要で、米側は、菅政権の同盟重視の姿勢が本物であるか確認する場と位置づけている。」
抜粋終わり

これは懸念の表明というより、恫喝だろう。そして、直ちに反応は現れた。絶対服従の姿勢は変わりません。外務、防衛官僚にとって「行政の継続性の観点」が今ほど重要な時はない。

そして財務官僚。これから予算編成の佳境を迎える。選挙の結果などに左右されず、着々と作業を進めたいところだ。内閣の陣容が変わり、予算編成の考え方が変わることはなんとしても避けたいだろう。

さらに言えば、9月の代表選まで、実力部隊としての検察官僚は、小沢氏の政治的暗殺も含め、各議員へ睨みをきかせるため、現在のフリーハンドを手放したくは無いだろう。落選して民間人となり、さらに御しやすくなった、千葉法務大臣の続投ほど、ありがたいことは無い。

他にもあるかもしれない。

こうして見てくると仙谷が「行政の継続性の観点」という言葉を、何の衒いも無く言い放ち、内閣も党役員会も全て続投という意味が理解できる。政治主導廃棄宣言だ。公共の電波を使い堂々と官僚とアメリカへの降伏宣言を行ったのだ。官僚主導宣言を行ったのだ。

人死にが出ても「法に則り、適切に処理しました」と無表情に嘯く妖怪ども。この妖怪に完全に憑依された菅政権による怪談が、暑い夏に一服の涼を届けてくれることだろう。ソフトな大政翼賛会、選択の余地が無い、全体主義体制が粛々と作られているということだ。

2010年7月12日 (月)

薄気味悪い。菅内閣はとっとと総辞職しろ。枝野、玄葉と一緒に民主党から放逐しろ。さあ、茶番は終わった。次は来年の統一地方選だ。その前に自己防衛だ。最悪の事態を想定して衝撃に備えよ。叛乱の準備をせよ。

やっと菅総理が話しをした。まだギリシャを持ち出している。苟も一国の総理だ。門外漢の僕でもちょろちょろ調べれば解ることをこの期におよんでまだ・・・これは異様な光景だ。洗脳?後の話も何を言っているのか良くわからない。なんだか、ぞっとするものを感じる。怖気を震うとはこのことか。

菅内閣はとっとと総辞職しろ。枝野は幹事長を辞めろ。玄葉は政調会長を辞めろ。そしてまとめて民主党からたたき出せ。

とりあえず、最悪の事態とやらを想定してみよう。
菅総理、仙谷官房長官を筆頭とする内閣、枝野を筆頭とした党執行部、玄葉政調会長が居座り国民新党以外の他の政党との連立を模索し、政策は益々妥協を強いられる。
政界再編の動きを封じるため、検察審査会、国税による新たな告発など、小沢一郎氏に対する政治的暗殺の危険が益々高まる。
郵政法案は成立してもしなくてもどちらも同じ。金融博徒が郵政の株を握るのか、財務官僚が握るのかの違いになる。多分郵政法案は成立する。しかし、その預貯金は財務省のコントロールのもと、日本の国債とアメリカ国債に振り分けられるだけ。日本の経済を活性化させるための投資には使われることは無い。
財政健全化のみが注目され、法人税の減税が先行し、不足する財源の補填のために、無駄の削減という名目で、公共事業も、社会保障も満遍なく減額され、ますます日本経済は落ち込んでゆく。足の引っ張り合いで、みんなで引き摺り下ろして、みんなで落ちれば、ざまあ見ろ、という国民の下劣な妬み根性のもと、雇用規制の修復もまともに行われることはない。

世界第二位のGDP、莫大な国内個人金融資産、貿易黒字という世界でも唯一無二の優位性。にもかかわらず、毎年3万に以上が自殺に追い込まれ、貧困にあえぐ国民は存在を抹殺される。この国の若者に対する迫害は尋常ではない。おかしいと思わないのか?醜悪なアメリカのカリカチュア。
その状態がさらに悪化し、これらの優位性は、個人金融資産のアメリカ献上、金融博徒の博打の元手として消えてゆく。優位性はことごとく失われてゆくだろう。80年代、中曽根元首相は「フィンランド現象」という言葉で北欧を揶揄した。これから日本は、「日本現象」という言葉で、世界中の物笑いの種となる。世界でも稀有、唯一無二の没落後進国家となる。

こんなところだろうか。

投票した国民の判断としては、約5,000万世帯のうち生活保護費以下で暮らしている世帯は約700万世帯、たかだか14%。非正規雇用で苦しむ者はせいぜい15~20%、大勢に影響は無い。自分は大丈夫というところだろう。投票しなかった40%の人々はもう国政になど何も期待しないというところか。
しかし、自分は大丈夫と思っている人々も、自分は関係ないと思っている人々もぼろぼろと貧困層に落ち込んで行くのは間違いない。当然、都市部と地方ではそのスピードは違う。地方の中間層の没落はより早いスピードで進んでゆくだろう。

昨日の投票日、相談ボランティアで忙しかった。今日は半休をとって生活保護申請の付き添いだ。これからもっと忙しくなるだろう。

別に脅すわけではないのだが、国政がどれほど茶番であっても、ばかばかしくとも、その影響はダイレクトに個人生活を直撃する。緩衝材が無い。恩恵を受ける人もいるだろうが、被害を被る人の方が増えるのは間違いない。
最悪の事態はそれぞれが想定して、今のうちに準備を始めておくべきだろう。何かが起こって、がっくり気落ちしているときに、切羽詰って情報収集に努めるのは大変だ。情報収集、いざというときのコンタクト先くらいは調べておいて損はない。転ばぬ先の杖。
国政になど何も期待しないという人々も、文字通り、自らの生き残りをかけて、地方議会や行政への働きかけは模索したほうがよい。今まで以上に地方での緊縮税制が推進される恐れがある。

最悪の事態を想定して衝撃に備えよ。叛乱の準備をせよ。

そして、生きろ。

2010年7月11日 (日)

参院選という茶番劇の日は暇ネタでお茶を濁しておこう。出版不況というけれど。購買力が失われるという実例。図書館の効用

ここ数年、めっきり本を買うことが少なくなった。本屋に行くと新刊本、ベストセラーが平積みになりあっという間に消えてゆくのであるが、買って読んでもはずれが多いのである。しかも、活字がどんどん大きくなり2~3時間で読み終えてしまうような、厚さはあるが、中身の薄い本がどんどん増えてきた。

小泉がせっせと日本をぶっ壊している頃から、はずれがどんどん増えていった。自分の身にも、いつ不測の事態が重なり、路上に放り出されるか解らなくなり、新刊や既刊の本を購入するより、図書館を利用することが非常に増えた。

まず、本屋や広告で読みたい本が見つかれば、メモする。家に帰ってから図書館のサイトで在庫と予約状況を調べる。図書館に入っていなければすかさず購入依頼をする。他の自治体では購入希望を一応検討して選別するところもあるが、今住んでいるところの図書館は、ありがたいことに、ほぼ間違いなく買ってくれる。納品までは時間がかかるが、別に今日すぐ読まなければならない本など無い。

ベストセラーになる前の新刊に目をつけて、自分が読み終わった頃にベストセラーとなり、予約が何十件もついているということは、稀にあるが、大体時流に乗ってる本は予約で一杯ということが多い。それでも予約リストに登録しておけば半年後、一年後には読むことができ、何でこんなカス本が売れたのだろうといぶかしく思い、買わなくて良かったと安堵することも多い。

だいたい、購入希望と予約をびっしり入れておけば、週に2~3冊のペースでただで本を読むことができる。 

そして、本当に気に入って、何度か読みたくなる本だけを、ブックオフオンラインかアマゾンで購入する。はやり廃れが激しい昨今では、本屋の店頭からはすでに消えていることが多いので、探し回る無駄を省くのにはブックオフオンラインやアマゾンは重宝する。

逆に絶版となり、アマゾンでも扱っていない本でも、図書館の書庫でひっそりとほこりにまみれて保存されていることもある。こういうときはしみじみとうれしい。

また、図書館のホームページもなかなか使い勝手が良い。県立図書館のホームページには横断検索の機能があるので、県下の図書館の在庫状況も一発でわかる。同じ市内の他地区にある図書館や、県立図書館からは、無料で本を取り寄せてもらえる。

出版不況といわれている。若者の活字離れが嘆かれる。僕自身もこの様な話はつくづくみみっちいと自分でも思う。しかし、本が好きでも、味噌も糞も一緒に本屋で本を購入するという以前のスタイルは、僕はもう取れない。将来への不安という負債が大きくのしかかっているのである。購買力が失われているのである。本当の危機には何の足しにもならない、みみっちい貯蓄が個人金融資産という大プールにちょろっと流れ込み、その大プールから金を借りまくっている国が「借りすぎたから、今度は毟り取ってやる」と、このみみっちい貯蓄を消費税増税の口実にも使っているわけである。かくして、中間層の没落は深化し、ファシズムが蔓延することになる。

特にこの国では若者が苛め抜かれている。まともな仕事も給料も無い。若者の消費離れや草食系を揶揄する言説もあるが、理由は単純、金回りが悪いの一言に尽きる。それを、精神的にああだこうだ、時代の風潮がああだこうだと批判、誤魔化す売文屋が金儲けをする。その売文を購入できる余裕のある奴らが、その言い訳を読んで安心する。そして、ますます出版不況が深刻化する。

本をせっせと消費するという流れから離脱し、かといって読書をあきらめなければ、図書館は膨大な蔵書を抱える書斎となる。

2010年7月10日 (土)

叛乱はすでに始まっていた。マスコミが一切報じない大規模ストライキ。最悪の事態を想定して衝撃に備えよ。叛乱の準備をせよ。

選挙がどのような結果に終わろうとも、僕たちは生きていかなければならない。政治屋や高給官僚が何を画策しようと、しんどい日常生活を送りながらも、希望を創り出さなければならない。
 僕たちに希望を与える情報はことごとくマスコミによって遮断されている。サッカーや相撲賭博や災害のニュースは流れるが、最も重要な情報は完全に黙殺されている。最も国民が切望する願いから、巧妙に視点を逸らした情報ばかりが取り上げられる。
地方都市のあちこちで行われている不当解雇撤回闘争、デモ、裁判などはローカルニュースでもほとんどが無視される。

しかし、止むに止まれぬ気持ちで立ち上がる人々がいる。

 一歩を踏み出して身近な現実に飛び込めば、そこには希望の萌芽がいたるところに輝いている。その輝きはまだ弱々しいかもしれない。しかし、その希望の輝きは実在する。
 職場と家を漫然と往復し、テレビを見ていても、その希望の輝きを見ることはできない。ネットを見ていれば情報は手に入るかもしれない。下記のような。しかし、その本当の輝きを、生の躍動と苦しみを体感することはできない。
 
最悪の事態を想定して衝撃に備えよ。叛乱の準備をせよ。自己防衛力と連帯の力を、共生の力を蓄えろ。

阿修羅より引用
マスコミひた隠し!関西の生コン関連産業で無期限ストが勃発拡大中!大企業支配を覆す高度な闘いに刮目せよhttp://www.asyura2.com/10/senkyo90/msg/117.html
投稿者 ヒゲ-戸田 日時 2010 年 7 月 07 日 10:55:16: Nk87MbMkz45iQ

 政党や政治家の話を少し離れて、政治経済状況を変える根底的要因たるべき労働者民衆
の荒々しい決起についての報告を行なう。
 ほとんど全てのみなさんには全く知らされていないし、信じられない事だろうと思うが、
実はこの7月から、関西では「全ての工事の土台」たる生コンとその関連産業において、
大幅賃上げ等労働条件改善とその原資を作る業界改善=「2010春闘」の解決を求めて無期限ストライキが開始され、拡大しつつある。

 現在的には、大阪府一円と兵庫県の西宮以東の地域で多くの生コン工場が止まり、大手の建設現場のかなりの部分で工事がストップしている。
 また近畿2府4県で生コンの原料たるバラセメント(粉セメント)の輸送のかなりの部分が停止されている。

 具体的に言えば、
7/2(金):大阪広域生コンクリート協同組合に対して3労組(連帯ユニオン・生コン産労・全港湾)が無期限ストを通告・・・・・大阪府一円で生コン製造や出荷を停止させる。
7/5(月):阪神地区生コン協同組合に対しても、3労組が無期限ストを実施
          ・・・・・兵庫県西宮以東の地域で生コン製造や出荷を停止させる。
7/6(火):近畿バラセメント輸送協同組合に対して3労組が無期限ストを通告し突入
・・・・・近畿一円でセメントメーカーのSS(サービスステーション)からの出荷を止める。
   :近畿圧送経営社会に対して圧送労組と連帯ユニオンの2労組が、「春闘事態が打開されなければ7/12(月)早朝から無期限ストに突入する」と通告。

   ※「圧送」とは、建設現場において生コンをポンプ車で受け取り、圧力ホースを使って生コンの打設箇所に流し込む業務。従って「圧送スト」となったら、仮に生コンを運び入れたり建設現場製造したりしても生コン打設が出来ない=工事が全く出来ない=生コンを廃棄しないといけない(生コンは「製造後90分以内に打設しなければならない」という品質規定があるので)、という大変な事態になってしまう!

という展開になっている。
 労組側は、まずは大阪府一円と兵庫県の西宮以東の地域に力を集中して勝利妥結をもぎ取りつつ、順次他府県にもストを拡大するなり背景力として使うなりして近畿一円での勝利を目指している。

 「ストライキ」という言葉が死語に等しくされてしまっている日本社会において、これは凄い事態ではないか! 
 そしてこういう闘いは今年急に起こったわけではない。関西の生コン関連産業においては、連帯ユニオン関西地区生コン支部(略称「関生(かんなま)」・「関生支部」)を主軸に毎年闘いが継続され、無期限ストを何度も行なっている。昨年春闘では生コン業種で1万5000円、セメント輸送で1万円、圧送で6500円もの大幅賃上げを勝ち取ってもいる(!)
参考:09春闘総括http://www.kannama.com/new-news/09.5.14/09syuntousoukatu1.html

★しかもこれは「単純な労資対決」構図の労働運動ではない。新自由主義政治・大企業支配を覆していくのに最も有効な闘いとして、高度な戦略に基づいて組み立てられた闘いなのだ。

 1:個別企業における闘争ではなく、最初から徹頭徹尾「産業別労組としての闘い」として組み立てられている。・・・・日本的な「企業内労働運動」ではなくヨーロッパ型の「産別労働運動」
 2:最初から「主敵は大企業(セメントメーカーやゼネコン)」と位置づけ、「大企業による中小企業・協同組合支配をやめさせ、大企業に不当利得を吐き出させる」事を戦略目標とした闘いである。
 3:中小零細企業で働く自分らの「賃上げ等の原資(財源)は大企業の不当利得にあり!」という認識を徹底した闘いである。
 4:業界の中小企業が「個社どうしの過当競争」や労働者搾取強化の方向に向かうのではなく、「大企業の不当支配・不当利得と闘って業界と自社の安定を図る」方向に向かう事を促す、一貫した中小企業対策の下での闘いである。
    そのために中小企業による協同組合の結成拡大・機能強化を労組として積極的に賛同支援しつつ、「協同組合として大企業に要求して賃上げ原資を出させ、業界改善を飲ませる」よう、個別企業と協同組合の「尻叩きをする」運動である。
 5:生コン関連産業の各社が存続し品質維持出来るためには、生コン価格1立米1万8000円への適正化値上げが不可欠である。これ無しには生コン関連業界で大倒産の地獄が始まってしまう。この点は関西の業界労資の共通認識であり、現に「生コン関連業界危機突破!6/27総決起集会」2300人の大結集で「行動実施」も含めて確認されてもいる。
     http://www.kannama.com/news3/10.6.28/toppasyuukai.html
     「アソシエ動画」 http://www.rentai-union.com/map/associe-map.html
   しかしそれを実現するには、労組が強烈に賃上げ圧力をかけて経営者をせっぱ詰まらせないといけない。そういう目的意識に裏付けられた大々的なストライキ闘争である。

★これらの情報は全てマスコミも承知している。「6/27総決起集会」の取材案内や動画紹介も各社に送っているし、「生コン関連業界ゼネスト」が開始された事も企業筋や警察筋から当然情報が入っている。
  しかし、業界新聞を除く一般のマスコミは、ただの一社もこれらの凄い事態を1行たりとも書かず、1秒たりとも放映しない!
  だから、今大阪を中心とした関西で「生コン関連業界ゼネストが開始」という大事件が起こっているのに、一般市民は誰も知らない。議員や行政関係者もほぼ誰も知らない。
 工事関係者だけが知っているに過ぎない。

■全マスコミがこういう「実質報道管制」状態なのは、彼らが新自由主義路線・大企業の社会支配の手先であるゆえなのだが、当然その本家である大企業財界・公安権力にとっては「絶対に許されない事、絶対に知られてはならない事、拡大してはならない事」なのだ。
  まさに1980年代に当時の財界総本山日経連・大槻文平が「関生(かんなま)労働運動」を評して「資本主義の根幹を揺るがす運動だ」と述べ、大弾圧が発動されたように、(この時の大弾圧を契機に関生を指導してきた共産党が裏切り=弾圧容認・組織破壊に回って、関生が共産党と絶縁し「連帯ユニオン」結成にいたる)
 現在、公安警察・ゼネコン・セメントメーカーが労組への弾圧発動を狙って様々な策動をしている。
  (共産党系の労組「建交労」は、情けない事にその弾圧のお先棒担ぎを積極的に担っている。)


◎補足して言うと、労組側から社会一般向けの広報宣伝もストライキ闘争に関しては、現在までのところ無きに等しい。これは全く残念な事だが、一義的にはストライキ闘争の組み立て実施で手一杯で余裕が無いことによる。
  ほかの事情としては、日々刻々様々な分野で情勢が複雑に流動していて書ききれない・書きにくい・書いて固定化する事で古くなった情報で誤解を生んでしまう、等々の面がある。
  が、一番の大きな広報阻害要因としては権力がウの目タカの目で弾圧ネタを監視している現実の中では、闘争が決着安定するまでは、「威力業務妨害」とか「共謀」とか「指令」とかにこじつけられる可能性のある報告や、こちらの手の内や「戦況把握」に関わるような記事は用心せざるを得ない、というやむを得ざる事情が
 ある。
  参考:連帯ユニオン関西地区生コン支部HP http://www.kannama.com/index-2.html

  また、いわゆる「左派メディア」や「労働運動メディア」が弱体化している事や、3労組側とのパイプが弱い事も、「大ストライキ勃発なのに報道無し」状態を生み出している事も否めない。
 
■ 阿修羅読者のみなさんに呼びかける。
  「政党・政治家に依存せず、これを主体的に活用する立場」で、積極的に政治闘争を行ない、新自由主義政治・大企業支配を覆していくのに最も有効な闘いを貫徹している、関西の生コン関連産業の中小企業労使の運動にぜひ賛同と注目をお願いする。
  そしてこれほど本格的な、旧来の業界秩序を刷新する闘いである以上は、権力弾圧がほぼ間違いなく発動される危険性がある。
 セメントメーカーやゼネコンは血相を変えて各企業を脅し回り、あの手この手で締め上げ、個別分断・協同組合破壊をしようとしている。労組活動の写真を撮ったり様々な情報提供を権力に行なっている。
  公安権力は企業を脅しすかしして情報提供させたり「被害届」を出させたり、自ら監視や撮影するなど様々に弾圧ネタを作り出そうとしている。

  参院選挙公示すぐの6/27日曜、大阪ナンバの繁華街で「生コン関連業界危機突破!6/27総決起集会・デモ」が労使2300人もの大結集で大成功した。
  今、参院選投票日7/11日曜の前に大阪で「生コン関連ゼネスト」が勃発し、投票日直前の攻防が大きな決戦場と目されている。
  さすれば、世の人々が選挙結果に大騒ぎして目を奪われる週明けに、「デッチ上げ報道だけをかましての大弾圧」も十分に予想される。

  そうはさせない情況づくりを闘う労組側は当然目指しているけれども、これは悪辣な相手がいる事であり、必ずしも思い通りにはならない。
  もしも関西の生コン関連労組に権力弾圧があった時には、ぜひこの投稿を読み直して、不当弾圧糾弾の声を上げて欲しい。
  (この投稿を書き上げるのに、4時間ほどかかってしまった。現在7/7(水)午前10:50)                   

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎戸田ひさよしHP http://www.hige-toda.com/
■他では見れない動画が満載!「戸田のYUチューブコーナー」
          http://www.youtube.com/user/todajimusho
■「中小企業の砦」=協同会館アソシエに関連する「アソシエ動画」
          http://www.youtube.com/user/ASSOCIE0911#p/u
■在特会や三井さん動画のまとめはこちらでも
   「絶対面白い動画コーナー」 http://www.hige-toda.com/_mado05/movie/
★連帯ユニオン関西地区生コン支部HP http://www.kannama.com/index-2.html  
引用終わり

2010年7月 9日 (金)

日本が負けてもまだサッカーかよ。このタコが。社会保障の還元率に見る財務官僚の思惑。最悪の事態を想定して衝撃に備えよ。叛乱の準備をせよ。

なんだか、世の中も選挙への関心を失っているようだ。ニュースでも選挙の話題など何も無かった。サッカーの勝敗を当てるタコが話題になってるようだが、大変むかつくので、サッカーファンに水を差す優れたブログをまず紹介しよう。
「私の闇の奥」2010/07/07「テリー・イーグルトンとサッカー」より引用
「『資本主義の親友:サッカー(Football: a dear friend to capitalism)』(ワールドカップは進歩的変革の妨げ。人民のアヘンは今やサッカーだ。)
嫌みたっぷりの文章ですが、さすがはイーグルトン、安っぽくはありません。一読に値します。例えば次の一節:
「儀式と象徴を剥奪された社会状況に、ランボーといえば映画の怪力男のことだと思うような大衆の審美的生活を豊かにすべく、サッカーは参入して来る。スポーツは大掛かりな見せ物だが、軍旗のパレードを観るのとは違って、観客の熱烈な参加を求めるものだ。日頃の仕事から何の知的要求も求められない男性女性たちが、サッカー競技の歴史を振り返ったり、選手たちの個人技を分析したりするとなると、驚くべき博識を披露することになる。造詣を傾けた議論が、古代のギリシャの集会よろしく、屋台や飲み屋を満たす。ベルトルト・ブレヒトの劇と同じく、サッカー・ゲームは普通の人々をエキスパートに変える」」
引用終わり
 このエントリーの後半ではサッカーの商業主義的側面の重要な情報を提供されている。是非ご参照ください。


 昨日のエントリーにscottiさんよりコメントを頂いた。

「財政危機だから消費税大増税、なのに不思議な法人税減税、に隠された大嘘。
三つの大嘘
1 日本の財政は粗債務は900兆円くらいですが、純債務は300兆円程度。
財政内容は諸外国と比較して悪いわけではない。 対外債権は世界一のお金持ち。
2 法人税は高い?現在の税制でも、ソニーは実質20%以下、輸出企業は消費税の還付金等の優遇税制で高くないよ。平均で30%程度かな。
3 既に日本は世界でも最悪に近い重税国家。トータルの税金、家計における税金と社会保障費の割合129ヶ国中99位Sweden54.5% 、101位Japan55.4%スウェーデンより酷い。そのうえ日本は何も安心出来ない。
なんも素直に応じるテレビ人間になるのを止めましょう。
日本のテレビ・新聞は最大不幸社会への道具です。」

 特に3についてスウェーデンよりも酷く毟り取られた金がどのように使われているかというデータを紹介しておこう。

富山県保険医協会HP月刊保団連2002年臨時増刊号グラフで見る医療改革より引用
Gurahu53

国民からみて、ほんとうの「負担と給付の公平」を考えるには、「支払った租税と社会保険料の総額のうち、社会保障給付としてどれだけ国民に還元されているか」ということこそ、問われるべきです。
 このグラフは、租税(国と地方)負担と社会保険料負担の合計額から、国民に社会保障給付として、どれだけ還元されているかの割合を示したものです。
 スウェーデンが75.6%、ドイツ・イギリスで約59.0%なのに対し、日本は、41.6%と、先進国最低です。仮に、日本の還元率41.6%をドイツの58.6%並に引き上げると、社会保障予算を31兆円も増額することができます。
 いずれにしても、国民レベルの収支勘定である「社会保障への還元率」の大幅な引き上げを求めることは、国民の正当な要求です。
引用終わり
 
 日本の財政支出の問題点として公共事業費の比率が異様に高く、社会保障給付の比率が異様に低いことは以前から指摘されてきた。
 そして、公共事業においても雇用規制の破壊により、乗数効果は失われた。社会保障給付の低さは国民に多くの苦難をもたらしている。
 この現象も昨日のエントリーで述べた財務官僚の思惑と一致する。社会保障給付が欧米並みになれば、国民は安心して暮らせるようになる。国民の末端までお金が回ることになる。そうすると、国民の財布の口も緩む。消費が拡大する。財務官僚の悪夢の始まりである。
だから、公共投資の資金を社会保障給付に振り替えるなどという発想は出てこない。公共投資は削減するのみ。そこで失われる雇用、特に不安定な雇用形態で働く人々への目配りなど一切無い。本来ならば、公共事業削減で発生する失業に対しての対策が採られなければならない。他の産業の育成が図られ、働く人々のスムーズな移行が図られなければならない。前原は一切そんなことには無頓着だ。介護サービスの人手不足が喧伝されるがそこにもっと資金を投入し、労働分配率を上げるという政策も長妻は出さない。きつく、安い賃金でも仕事があるだけましだろうとの、介護現場の実情を知らない優雅なコメンテーターの戯言ばかりが垂れ流される。社会保障給付は消費税増税で。しかし、5%アップではぜんぜん足りない。法人税を減税すればその穴埋めに消費税が使われる。橋本政権失敗の酷い二番煎じだ。財務官僚にとってこれがあるべき姿である。

 「常用求人数」6割減、リーマン・ショック影響か2010年7月8日 読売新聞
以下引用
「厚生労働省が7日に発表した2009年度の民間の職業紹介事業報告(速報版)によると、4か月以上の雇用見込みがある「常用求人数」は約148万人で、前年度の確報値に比べ61・6%減少したことがわかった。」
引用終わり

5月機械受注は08年8月以来の大幅減:識者はこうみる2010年 07月 8日 [東京 8日 ロイター] 
以下引用
「内閣府が8日に発表した5月機械受注(船舶・電力を除く)は前月比9.1減と、08年8月以来の大幅な落ち込みとなった。輸出の増勢鈍化や政策効果のはく落などが背景と見られ、主に製造業からの受注の減少傾向が目立つ。」
引用終わり

地方税、過去最大の3兆5千億減2010年7月8日 共同通信
以下引用
「09年度の地方税収は、08年度に比べ3兆5283億円(9・1%)減の35兆3433億円にとどまることが8日、総務省の決算見込み(速報値)で分かった。減収は2年連続で減額幅は過去最大。景気後退で法人事業税と法人住民税が計3兆6421億円(43・2%)のマイナスとなったのが最大の要因だ。法人2税に、09年度創設の地方法人特別譲与税6405億円を加えても、法人税関連の減額幅は3兆円を超える。」

 なんだか肌感覚で感じていたことを数字にされると悪寒が走る。やはり、今回の選挙の争点は雇用、景気であるべきだったのだ。それが消費税に捻じ曲げられた。
 まだ投票を済ませていない方々は是非各政党の雇用対策を比較して投票先を決めて欲しい。

6月豪就業者数は予想大きく上回る増加、利上げリスク再燃2010年 07月 8日 ロイター
以下引用
「[シドニー 8日 ロイター] オーストラリア連邦統計局が8日発表した6月の雇用統計は、就業者数が季節調整済みで前月比4万5900人増加した。予想を大きく上回る伸びで、追加利上げのリスクが再燃した。」
引用終わり
 
ぱっと見ると何がリスクなのか良くわからない。まあ、利上げで豪ドルが買われ高くなればオーストラリアの輸出産業には打撃だろうが、国内需要がカバーすれば問題が無い。

同じ世界でなぜこうも違うのかとため息が出る。しかし、日本の財務官僚にとってはこのオーストラリアの状況こそが悪夢なのだ。
それにしても、オーストラリアは雇用統計の発表が異様に早いように見える。前月の数字が翌8日に出るんだ。行政事務の効率の違いも感じるなあ。公務員の給与削減や人員削減ばかり言われるけれど、焦点が外れているのではないだろうか。このIT社会で、企業も、役人も本当に効率の良い仕事ができているのだろうかとの疑問が湧く。

 いずれにしても選挙後、最悪の事態は想定しておいたほうが良いだろう。消費税増税派の翼賛体制。国民の益々の困窮化。憲法改正の現実化。
 雇用主との闘い方、収入が減ったときの住宅ローンなどの債務整理の仕方、各種減免措置、給付の受け方。国の制度と自分が住んでいる自治体独自の制度の確認は下手な資格の勉強よりも役に立つだろう。平日に休みが取れたらネットでの調査、ハローワーク、役所などへ行って資料収集に努めておいたほうが良い。
 反貧困の運動に関れば人助けだけではなく自己防衛にも役に立つ。国政の怠慢を嘆くよりも自分の住む自治体への団体行動、圧力のかけ方、どの地方議員が味方になるのかの見極めなど、今から準備できることはいくらでもある。

 何かが起こってからでは遅い。普通の正規社員が幾つかの不測の事態が重なっただけで、直ちに路上に放り出されるというのがこの国の現状だ。そうなれば誰も助けてなどくれない。普通の生活を送る人々の視界からあっさりと抹殺される。自己責任と謗られ見向きもされなくなる。それが現実だ。

 まず、生きることだ。仲間を見つけ、自分の足元を固めることだ。

 国政で不穏な動きが起こったら、直ちに地元の国会議員へ、異議申し立ての多数の声を届ける準備をしておくべきだ。
 首都圏に住んでいるならば反貧困ネットワークにあるいろいろな支援団体へのアクセスは容易だ。しかし、地方に住んでいる方々は地元にある「生活と健康を守る会」の所在ぐらいは確認しておいたほうが良い。もし時間があるのならその活動を手助けするのも良いだろう。自己防衛能力を高め、国政への攻撃力を蓄える現実的な対応を今から準備しておくことだ。

 このまますんなりと奴らの思い通りにさせてはいけない。人任せにしていると必ず痛い目を見ることになる。叛乱の準備を始めよう。 

2010年7月 8日 (木)

財務官僚は日本経済が元気になることを何よりも恐れている。財務官僚の狙い通り、消費税増税という言葉だけが国民の意識下に刷り込まれた今回の選挙

  期日前投票を済ませたので、選挙までの各党の言い分など、もうどうでも良いや、という気分なのだが、それにしても、この選挙の争点は何なのだろう。

沖縄の基地はもういらない。雇用や景気、医療や年金などの社会保障。とにかく食えない、将来にも不安が一杯。何とかしてくれというのが今も昨年の衆議院選挙でも焦眉の急なのだと思うのだが。サラリーマンもお年寄りも企業家も困窮者も、大部分の国民はこの困難に政治はどう応えてくれるのかということが関心の焦点ではないのだろうか。

そしてその視点を徹底的にはぐらかしているのが今回の選挙ではないのか。反面、消費税増税という言葉だけが国民の意識下に刷り込まれた。

生活困難という問題の解決のためにこうします、という議論は、昨年の衆議院選挙ではまだあったような気がするのだが。

何をするにもお金がかかる。財源は捻出できなかった。けれどまだこれだけ絞ります。だけどこれだけ足りないのです。だからそれをやるためには増税が不可欠なんです、というのならまだしも。そんな論理はすっ飛ばして、今まで聞かされている話は

なぜ、消費税増税が必要か?

ギリシャよりもひどい借金大国だから。(はあ?)

低所得者へはどうするの?

全額還付します。(うへー・・できるのかよ?ほんとに?)

そうすると税金が足りなくなるのでは?

所得税などの累進課税強化もなかなかよろしいかと存じますが。

こんな泥縄式の議論。財政赤字が大変だから消費税増税です。経済を強くするために法人税減税です。欧米を見てください。消費税はもっと高いし、法人税はもっと安いでしょ。だから真似っこしてれば間違いないんです。それが第三の道なんです。

日本の特異性、優位性を無視した、ごく上っ面の矮小化された議論。しかも野党もその土俵にまんまと乗っているような。

ちまちまちまちま金の話、しかも国民の懐具合ではなく、国の財布の話。

夢が無いよな。

 なんでこんな話に収斂するのかとつらつら考えていると、財務官僚は日本の経済が元気になっては困ること、絶対に元気にしてはいけないことに気がついた。やっぱり財務官僚が後ろで糸を引いているんだなと思う。そう考えると辻褄が合うことが多すぎる。日本の特異性、優位性を考えると益々以下の推論があたっていると思うのだがどうだろうか。

1.世界経済の動きからEU、アメリカを見る。

EU

 サブプライムローン問題、リーマンショックで危機に陥ったヘッジファンドは欧米各国からの公金注入により息を吹き返した。最悪の金融博徒の復活である。

 EUで起こったギリシャ危機、さらにスペイン、ポルトガルに飛び火しそうな金融危機の元凶は、この悪質な金融博徒だ。

 EU諸国の国債は市場で取引される。(日本では全く違う。日本の国債の取引については後述する。)

金融博徒はギリシャの財政危機の隠蔽が表面化するタイミングを計り、ギリシャ国債への空売りをかけておく。CDSという、債権債務に何の関りも無い第三者が、債務者が破綻することに賭金を払い、破綻のリスクが高まればCDSの値が上がって大儲けという、まさに博打としか言いようの無い金融商品。このCDSを買い込み、値を上げる。ユーロにも空売りをかけておく。財政危機が表面化すれば空売りをかけた国債の暴落で大儲け、デフォルトの危機を煽ればCDSの値が上がって大儲け、ユーロの暴落でも大儲けという按配である。それで、IMF、ドイツ、フランスがさらに公金をギリシャにつぎ込めば今度はそのつぎ込んだ国の財政悪化を標的にすればよい。ギリシャの国民が苦渋を舐めようがEU諸国の国民が苦しもうが知ったことではない。債務不履行の悪夢を煽れば煽るほど金融博徒は大儲けだ。

 ギリシャの次に狙われているのはスペイン、ポルトガル、イタリアなどの財政基盤の弱い国々だ。CDSのスプレッドが上昇している。

ユーロ圏周辺国のCDSスプレッドが拡大、スペインは過去最大に=マークイットロイター参照

2010 06 29 19:30 JST参照

 これに対して、EU諸国の政府が打ち出した方針はほぼ2種類。(ドイツは空売り規制も実施 空売り禁止法案を可決=独下院2010/07/02時事ドットコム参照)

さんざん公金注入で助けてやったのに、恩をあだで返す金融機関に対する銀行課税と、財政再建のための国民への増税。EU圏の銀行は銀行税に頑強に抵抗している。これに対し、国民も、負担増を強いられるのは筋が違う、儲けた奴らから金を取れと、デモやストライキで意思表示を行っている。

ギリシャとスペインで大規模スト、緊縮財政策に抗議2010 06 30 09:50 JSTロイター参照

G20直後にギリシャ国債のCDSはかつて無いほど値を上げた。G20の直後アメリカの株価は1万ドルを切り、ユーロ、ドルが売られ円が買われた。金融博徒どもが示威行動を行ったのだ。みごとにG20での銀行課税の共同歩調は寸断された。EU各国の政府は、この脅しが効いたのか、金融博徒に肩入れしそうな気配だ。しかしデモやストライキでその動きを阻止できる可能性をEUの国民は知っているのだ。

ちなみに、「デフォルトリスクが最も小さいと見なされる5カ国は、ノルウェー、フィンランド、米国、デンマーク、スウェーデン。」(7月6日(ブルームバーグ)ソブリン債の保証コスト:昨四半期に30%上昇、欧州危機響く-CMEより引用)

基軸通貨国アメリカを除くと全て北欧の社会民主主義の国々だ。なぜ日本人は北欧の社会民主主義にもっと注目しないのだろう。金融博徒の片棒を担いだシティを抱えるイギリスの、しかも労働党政権を新市場主義に染め上げたブレア政権をモデルとするのだろう。その謎解きも以下で述べてゆこう。

・アメリカ

 一方、金融博徒の総本山アメリカでは何が起こっているか。金融規制法案は下院で議決された。しかし、銀行特別税は削除され骨抜きにされた法案の採決が来週上院で行われる。ここでも金融博徒の示威行動は成功を収めたようだ。

米金融規制改革法案、民主党が銀行課税取り下げ2010 06 30 10:34 JSTロイター参照

アメリカはまさに市場資本至上主義の国だ。大資本が共和党にも民主党にもたっぷりと金を注ぎ込み議会、行政府、さらには州最高裁までをもコントロールしている。日本の金権政治などかわいいものだ。いくらアメリカ国民が民主党を選択しても、その政策は大資本に必ず骨抜きにされる。国民健康保険法もしかり。世界に冠たる自由と民主主義の国という幻想に騙された大資本の奴隷がアメリカ国民の現在の姿だ。

2.日本政府の資金調達の特異性。財務官僚計画経済。

・外為特会

 そして、そのアメリカの奴隷にも劣る、物言わぬアメリカの大金庫が日本だ。

 日本は金融博徒が支配するアメリカ政府の大金庫だ。巨額のアメリカ国債を引き受けて、その金が金融博徒にもどっさりと還流する。

 外為特会の100兆円にも積みあがっている資産のほとんどはアメリカの国債だ。財務省は外国為替資金証券(為券)という2ヶ月短期国債を、入札参加資格を持つ金融機関や日本銀行など限られた機関投資家だけに入札、販売し資金調達をする。その資金を外国為替市場の介入に使用してドルを買う。市場介入が終了すればそのドルを売って円に換え、為券の償還に使えばよいのだがそうはしない。そのドルでアメリカ国債を買う。ちなみに、平成21年度末の外貨証券は77兆円、外国為替資金証券は110兆円の予定だが、平成22年度末には外貨証券が112兆円、外国為替資金証券は145兆円にまで激増する予定である。(外国為替資金特別会計貸借対照表参照)外為特会にメスを入れるとしていた民主党の当時の財務大臣、菅直人がどれほど財務官僚に簡単にあしらわれたかという証左であろう。

 アメリカ国債の利率(約4%)は為券の利率(約0.7%)よりずっと高い。だから、自転車操業で為券の発行と償還を続けても、その利払いは莫大なアメリカ国債の利子収入で充分まかなえる。しかも、利子収入の残りを一般会計に繰り入れて面目を保ち、さらにその残りを財務官僚が好きなように使うことができる。良いこと尽くしに見えるこの外為特会も、日本の経済が元気になると、暗転する。

(外為特会については植草一秀の『知られざる真実』カテゴリー「外国為替資金特別会計」が詳しいのでご参照ください。)

・一般会計

 一般会計の国債発行も同じだ。日本の国債はやはり入札によって国内の金融機関に引き受けさせている。国内の金融機関は他に有利な投資先が見つからない、すなわち、投資のための資金需要が少ないためにおとなしく入札に応じる。

 もし、日本の経済が元気になれば、資金需要が旺盛になり、貸出金利が高くなり、金融機関にとっては国債よりも有利な国内投資先が増えることになる。財務省は、今までの借金の返済のため、より高い金利をつけた国債を発行しなければならなくなる。

 経済が元気になれば所得税、法人税、消費税が増え、財政が安定する可能性が高い。しかし、財務官僚が国債の入札を金融機関に強いることに比べれば、その支配、コントロール力は格段に削がれることになる。

 財務官僚が資金調達の支配力を維持することは資金配分の支配力にも直結する。資金配分におけるアメリカ企業への直接支出、貢献はこの支配力なくしては実現できない。

 例えば、アメリカからの兵器購入。在日米軍への思いやり予算。沖縄米軍の移転費用の肩代わり。口蹄疫問題で、農水省がアメリカ牛肉輸入のために宮崎牛の大量殺処分という暴挙に及んでいるという推論を以前のエントリーで述べた。アメリカ産農作物の輸入を促進するためには農水省の予算を財務省ががっちり握る必要があるだろう。

 

 アメリカは泥沼のアフガニスタンへの戦費調達、世界に睨みをきかせるための軍備再編、自国の企業への資金還流のため、ますます、日本への資金提供圧力を強めてくるだろう。

すでに、アメリカ政府は米軍基地のグアム移転に対する上納金のかさ上げを求めてきている。

情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)」さん

米軍基地移転で米側がさらに金を要求~事実を隠すことで不利に追い込まれるのはお定まり…あ、利権か」より

以下引用

米軍基地のグアム移転問題に絡んで、菅政権になって、アメリカの言いなりになることを明言した途端、いきなり、①グアムに移転予定だった司令部の一部を沖縄に残し、同規模の戦闘部隊を代わりにグアムに移す方向であることを告げてきたうえ、②ゲーツ米国防長官が北沢俊美防衛相に日米合意の枠外であるグアムのインフラ整備のための資金負担を求める書簡を送ってきた。

引用終わり

3.財務官僚の悪夢

・日本経済の活性化

 以上から推測できることは、日本の経済が活発に活動することを財務省が何よりも恐れるだろうということだ。

財務官僚の悪夢は民間市場の資金が、莫大な個人金融資産が、国債や為券より、儲けの大きい投資先に向かうことだ。財務官僚が国債や為券の資金調達に対する支配力を失うことだ。

国債や為券の低い利率より儲かる投資先があれば、国債や為券を買ってもらうために、金利を高くしないと誰も入札に応じてくれない。  

そうすると為券の利率がアメリカ国債の利率に近づいてゆく。これが何よりも恐ろしい。なぜか。為券の償還原資を確保するために、アメリカ国債をこれ以上買うことができなくなるからだ。アメリカの要求に応えられなくなるからだ。下手をすれば為券の償還のためにアメリカ国債を売らざるを得なくなるからだ。

そして、日本国民に今までの悪事がばれる。アメリカ国債を売ることができないということがばれる。アメリカ国債を売らずに為券の利子を払うためには一般財源からの穴埋めが必要になる。一般財源からの穴埋めには国会の承認が必要になる。今までのごまかしが全部ばれてしまうのだ。しかも、自分達の自由にできた金も枯渇する。

 だから、アメリカへの献金と自己保身の為には絶対に日本の経済を元気にしてはいけない。莫大な個人金融資産への支配力が失われ、個人金融資産が市場システムに移管し活性化することは、財務官僚にとっては悪夢に他ならない。

・雇用規制の修復

 この様に考えると、財務官僚にとって最も忌むべき、蛇蝎のごとき政策が、労働規制の修復だと納得する。国民の末端まで金回りが良くなり、消費が増え、投資が活発化し、莫大な個人金融資産が新たな投資に向けられ、財務省の資金調達に支障をきたすなどという悪夢。これを避けるためには、自殺者が3万人を超えようが、ワーキングプアが激増しようが、そんな瑣末なことは頓着する必要も無い。雇用規制の破壊は必ず貫徹されなければならない。

世界的にもこれほど経済規模が大きく、しかも個人資産が潤沢で、貿易も黒字の国など、どこを探したって、他にはない。これほどの優位性を活用し、国民のすみずみまでお金が回るように雇用規制を修復すれば素晴らしい国になる可能性がある。しかし、財務官僚は絶対にそんなことは許さない。

円高が進むことにより、輸出関連企業の株が暴落し平均株価を下げる。しかし、なぜ日本の円が信任され世界中から買われることが、それほど悪いことなのだろうという素朴な疑問が湧く。食料、石油、工業原料などを輸入に頼る日本では、円高は輸入財の値下げに繋がるはずだ。恩恵を被る企業が沢山あるはずだ。しかし、購買力が枯渇していれば円高の恩恵も価格下落に直結するのだろう。国内では企業の利益にも、従業員の給与にも反映されることは無いのだろう。本来なら日本の優位に繋がるメリットがデメリットへ転化する。それが当たり前のことと受け容れられる不思議な国だ。

アメリカへの隷従が至上命題の、財務省官僚が日本の力を奪っている。マスコミはそのことから国民の目をそらす。財務官僚に踊らされる政治屋どもが日本を亡国へ導く。

4.合点がゆく菅内閣の迷走ぶり

・資本主義諸国のみそっかす

 日本がG8G20でいつもみそっかす扱いなのは無理も無い。日本は、経済規模は大きいがアメリカの金庫に過ぎない。他国が、アメリカ専属のもの言わぬ金庫を相手にするはずがない。何か働きかけをしても日本は独自の動きなど取れるはずが無いからだ。しかも、財政における資金調達は市場経済ではない。全く与件の違う国、置かれている状況が違う国。しかもその違いも理解していない日本の総理。そんな国を誰が相手にするだろう。せいぜい、国際機関への出資や他国への援助、金の絡まないテーマへの発言が許されるくらいだろう。

・消費税増税、法人税減税、所得税累進課税強化

 消費税増税、法人税減税というのもうなずける。徹底的に国内の金回りを悪くし、消費を抑え、新たな投資を誘発することを極力抑えることが重要なのだ。そのためには逆累進性が高く、また、所得税、法人税よりも安定した消費税という財源が財務省にとっては非常に魅力的なのだろう。

  日本の企業は、本当は法人税減税よりも需要喚起の政策を求めている。消費の拡大を求めている。(ロイター企業調査:成長阻害要因、「需要不足」が43参照)しかし、それに応えることは財務省にとっては墓穴を掘ることになる。だから法人税減税というおためごかしで誤魔化そうとする。法人税減税分を、中国など需要が見込める新興国への投資に使って、高額の役員報酬と株主配当に廻してもらえばとりあえず文句は出ない。中小企業もそれでかつかつ食っていければ文句は出ないだろう。

 たとえ、高額所得者への累進性を強化しても、それが国民の経済を元気にしなければそれは許容される。吸い上げた税金が高給官僚、大企業、富裕層の間でゆっくり回って、末端へ流れさえしなければOKだ。公務員の給与を削減し、さらに国民経済を疲弊させることは、エリートの財務官僚にとってはわが意を得たりというところだろう。

雇用規制がしっかりとしており、民主主義が行きわたっている北欧型社会民主主義よりは、テクノクラート独裁のソ連型社会主義の方がまだ財務官僚には親和性がある。

・原発への固執。産業振興政策、介護福祉サービスへの消極性

 財務官僚にとって自然エネルギーへの新たな投資など言語道断だ。そんな新たな市場が活性化するよりも、実用化のめどもつかず、放射性廃棄物をひたすら溜め込み、将来への禍根を残す原発、高速増殖炉へ金をつぎ込んだほうがまだましだ。新たな技術を日本で育むよりも、原発を外国に売りつけたほうがまだましだ。

iPS細胞による医療技術の開発、藻から油を産出するバイオマスエネルギー、発光ダイオードや有機ELDなど先進技術に対する国家を挙げての集中投資。そんな世界情勢から背を向けて、自国の技術の萌芽には目もくれず、ちみっ、ちみっと金を配って天下り官僚が寄生する。事業仕分けで垣間見られた、先端技術つぶしのあり様である。

ニーズは高い介護サービスでも雇用破壊による低賃金、あこぎな業者のボッタクリ、だがこれは財務官僚にとっては当たり前の姿だ。

新しい市場と需要、消費が日本で生まれることを極力排除する。それが財務省の根本理念なのだろう。そうして、日本の産業は衰退の一途をたどっている。

・国民の考える力を奪う教育とマスコミ

 国民の無知を維持拡大するための教育、ジャーナリズム精神など毛ほども無いマスメディアは、財務官僚にとっては絶対に必要なのだろう。国民を長時間労働に縛り付け、少ない余暇をテレビ、パソコン、ゲームなどで埋め尽くし、考える力を奪うことが肝要である。国民がお互いに反目し分断するような情報操作、補助金による支配がNPOにも適用されているのが現状である。

そうして、消費税増税という言葉だけが国民の意識下に刷り込まれてゆく。

・終わりに

財務官僚がこの国の支配権を握っている限り、日本は資本主義国ですらない。アメリカが資本家独裁主義ならば日本はまさしく官僚独裁主義である。そんな日本のあり方を理解せず、ヨーロッパの民主主義をモデルにしようとすることは噴飯物である。

恥かしげも無くギリシャを引き合いに出して日本の危機を煽る。財政再建と経済成長が両立できることをG20で理解してもらったと自画自賛する。低所得者への全額還付などという絵空事を、票目当てで垂れ流す。「菅言を弄する卑劣菅」。なぜここまで惨めな醜態をさらすのか。財務官僚の切なる望みに、それと知らずに、踊らされていると考えれば、全て合点がゆく。

日本の元気を破壊し尽くす財務官僚の手のひらで踊り「元気な日本を復活させる」を標榜する民主党の茶番劇。

これほどテレビで宣伝されれば、消費税増税の言葉だけが国民の意識下に刷り込まれる。それが財務官僚にとっての、今回の参議院選挙の最大目的であり、その目的は、ほぼ達せられたと見るべきだろう。

政界の大混乱が望まれる。

2010年7月 7日 (水)

地方が疲弊する具体例。官製ワーキングプアの笑えない話。地方公務員は高給官僚の支配にがんじがらめ。

  地方自治体の競争入札は土木工事だけではない。施設の警備、清掃、給食ケータリングなどの様々な職種に及ぶ。入札に応じる会社の従業員は非正規雇用がほとんどである。入札金額を低く抑えるために人件費を抑えなければ儲けにならないからだ。

当然、そこで働く人々は不安定な雇用条件のなか、役所のきつい要望に応えるため目一杯酷使される。役所の中で働く人が労基法違反の労働条件を課されていても、役人は全く気にする気配も無い。

先日、僕らの仲間が受けた相談で笑えない話があった。清掃業務で数年契約を継続していた女性の方が、勤めていた会社を解雇されたのだ。役所の入札が取れなかったことがその理由である。

なんとか、安いパート仕事と、なけなしの貯金で食いつないできたがにっちもさっちもいかなくなって相談に来たそうだ。

役所にその仲間が同行して生活保護の申請に行った。さすがに門前払いはされなかったが、なぜ以前の仕事をやめたのか、まだ若いのだから仕事など探せばいくらでもあるだろう、とねちねちやられたそうだ。同行者が口を挟もうとしたところ、相談者が真っ赤な顔で怒りながら

「役所が首切っておきながら何だその物言いは」と怒鳴りつけたそうだ。それから延々自分が首を切られた経緯、それまではまさに市役所のこの建物の掃除を担当していたこと、3月も末になっていくら契約満期だといえそのまま解雇になり、仕事を探してもまともな仕事が無く、半端仕事で食いつないできたことをすごい迫力で語ったそうだ。

役所の担当者は毒気を抜かれたようにしゅんとして、その後は滞りなく申請の手続きが進んだそうだ。いざというときは女性のほうが底力を発揮するようだ。

彼女が首になったのは、無論その市役所の担当者のせいではない。しかし、役所のやっていることで困窮に陥る人がいることを知って、ちょっと考えを変えたようだ。

現場の役人というのは実はいろいろなリソースに囲まれており、そのリソースをうまくネットワーキングできればとてもよい仕事ができる。人々の困難はいろいろな要素が絡み合って複雑化していることが多い。DVや病気や借金や家族や親族との関係や家主のセクハラなどなど。そして役所の中にはそれらの問題に個別に対応する窓口はある。しかし、複雑なケースについては面倒がって他の窓口へ押し付けようとする。

かえって、病院に勤めるケースワーカーが優秀な場合が多い。役所や外部のリソースをうまく活用し最も有効な問題解決方法をすばやく組み立てることができる人がいる。仕事も速く、無駄な金も使わずに適切な解決策を導き出す。

こういう人は本当に仕事が楽しいだろうなと思う。なぜこの様な人が役所に少ないのかなとも思う。

だが、その答えは簡単だ。余程の力量を備えていても組織内で評価されないからだ。役人は他の部署との連携を極度に嫌う。ヤクザの縄張り意識みたいなものがある。その縄張りを易々と越えて仕事をする人は煙たがれる。何か問題がおきると真っ先に槍玉に挙げられる。

しかも、国の官僚からの予算の締め付け、告示、通知などでがんじがらめにされている。法律の解釈を手取り足取り指導される。まさしく、国家の官僚から地方末端の役人までものすごい強固な支配管理関係が貫徹している。その支配管理関係に従順なほど評価される人事システムのもと、地方自治体の役人もみなヒラメになる。官僚独裁制の面目躍如というところか。

官製ワーキングプアは外注だけではない。役所の中にも非正規雇用で働いている人はごろごろいる。役所の正規職員は非正規職員の労働条件に引きずられることは今のところ少ない。しかし、役所の入札に応札するために非正規社員を雇う会社では、容易く、容赦なく正規社員の労働条件も引き摺り下ろされる。

地方では大店立地法の成立により大資本が侵入し、地元資本が圧迫された。大資本に対抗するためには賃金カットにまい進する。さらに官製ワーキングプアによってますます雇用状況が悪化している。派遣、非正規雇用どころか、「個人請負」などという労基法を潜脱する雇用形態も増えてきている。

従って、公務員の給与を下げろという声には反対である。ますます、労働者全体の賃金水準の低下に拍車をかけることは間違いない。求めるべきは、全ての労働者が公務員並みの給料と待遇を受けることである。何度でも言うが、雇用規制の修復である。公務員を、特に高給官僚を白日の下に引きずり出し、主権者の望む仕事をさせることである。

妬み嫉みで足を引っ張り合っても得るものは無い。あるのは阿久根市のようなファシズムへの道である。

「強者への愛、弱者に対する嫌悪、小心、敵意、金についても感情についてもけち臭いこと、そして本質的には禁欲主義というようなことである。かれらの人生観は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人に対しては詮索好きで嫉妬深く、しかもその嫉妬を道徳的公憤として合理化していた。」(「自由からの逃走」64P234エーリッヒ・フロム著)

続きを読む "地方が疲弊する具体例。官製ワーキングプアの笑えない話。地方公務員は高給官僚の支配にがんじがらめ。" »

2010年7月 6日 (火)

ゆうパック遅配に見える、雇用破壊の悪弊。企業の「甘えの構造」。

 ゆうパック遅配がニュースとなっている。現場対応力が激しく劣化しているのだろう。

 合併、分社化、業法改正、大手サプライヤーのシステム変更、など仕事全般の大きな変更が行われるときには、実務に精通したマネージャーの課題発見能力と、そのマネージャーとしっかり連携をとる現場スタッフの適応力が必要不可欠となる。今回の件はそのどちらも欠けていたように見える。

 仕事全般の大きな変更の場合、まず社内システムの変更が行われる。その変更に対応するトレーニングはもとより、システム変更に伴う現場での手作業の見直し、必要書類の変更、書類内の項目の精査と変更、変更に伴うトラブルの想定と対応手順、顧客への説明とクレーム対応の統一基準の作成、現場スタッフへの周知など、あらゆる仕事の場面で何が起こるのかを見通し、対応をしなければならない。

 その仕事に30時間かかるとすれば、30日前から1時間ずつ、スケジューリングにそって着実に業務をこなさなければならない。5日前から一日6時間かけるとなると、日常業務、突発時の対応など目先の仕事に時間をとられ、大事な仕事がどんどん後回しになってしまう。長時間の残業をして、ぼんやりとした頭でさらに能率の悪い仕事を強いられてしまう。

 

変更事項を現場に浸透させるのにも時間はかかる。特に現在のように同じ職場に様々な雇用形態が混在する場合は細心の注意を払わなければならない。

 

これに失敗すると、変更当日はドタバタのやっつけ仕事になる。後から後から発生する問題にその場しのぎで対処しなければならない。顧客からのクレームもひっきりなし、現場スタッフに判断基準が周知されていれば、本来現場で処理できるクレームに、いちいちマネージャーの判断を仰ぐことになる。マネージャーの判断もその場しのぎとなり、何を基準にするかはマネージャーの胸先三寸、判断がぶれまくる。益々現場対応が粗雑になり、対応が遅れる。

 なんとか、その時期をしのいでも、非常にいびつで、統一感の無い、つぎはぎの作業行程が改善されずに放置され、時々思い出したように大きな事故やクレームを誘発する。

 郵政でも、民営化による雇用規制の破壊は進んだ。業務効率を上げるために、現場の知恵は無視し、トヨタのかんばん方式を手本にした業務改善が導入されたそうである。単なる労働強化に終わり、結果ははかばかしくなかったようだが。ザ・アールなどという胡散臭い人材派遣会社も接遇のトレーニングを受け持っていたようである。待遇が悪化する中でお辞儀の仕方や挨拶の仕方を仕込んで、本当にサービスが向上するとでも思っているのか。顧客満足度の向上のため、挨拶をきちんとしましょう。小学生でもあるまいし、噴飯物である。しかし、これが現実である。

 今回の例は郵政独自の問題ではないだろう。マスメディアでは郵政民営化是非の問題に矮小化されると思われるが、実は日本の産業全体に通じる弱体化の氷山の一角では無いかと思う。

 

雇用規制の破壊による賃金コストのカットという、企業にとっては大甘な政策が大手を振った結果だろう。贅肉を落とし筋肉質になったといわれる日本の企業は、実はトレーニングのための負荷を投げ捨て、筋肉も衰えぶよぶよの、体内脂肪でたぷたぷの脆弱な体になってしまったのだろう。

 まともなマーケティング能力も無く、コストカットと管理強化以外には頭の回らないマネージャー。待遇に不満を持つ、雇用形態の相違で分断された現場スタッフ。そこに協労のシナジー効果など発生のしようが無い。問題解決能力が育つはずが無い。

時々、トヨタのリコールや、欠陥製品による事故、工場の爆発炎上など、大会社の事件がニュースになる。しかし、周りを見渡してみれば、大型小売店での販売スタッフの商品知識の無さ、マニュアルから外れたときの対応の悪さと無能、最近などは、基本的な客動線、従業員動線を無視したいびつなレイアウトの店も増えてきた。消費の楽しみを阻害する出来事など日常茶飯事になっている。

日本人材ニュースHRN

日本の労働生産性はOECD30カ国中で20位、先進7カ国では15年連続で最下位2010-01-14 - 雇用・賃金

以下引用

「日本生産性本部(谷口恒明理事長)がまとめた、2009年版「労働生産性の国際比較」によると、2008年の日本の労働生産性は、3年連続でOECD加盟30カ国中第20位となり、引き続き低迷していることが分かった。先進7カ国の中では15年連続で最下位。」引用終わり

まともな感覚で、働く者を尊重する会社はどこでも手堅く地道にその命脈を保っている。

 「甘えの構造」にどっぷり浸かった、大企業の甘ったれた要求に応えてゆけば、さらに日本の経済の脆弱性は増大するだろう。

法人税減税など行うより、雇用規制の修復は、必ず日本経済の復活に繋がる。財務官僚の財政再建策などに踊らされず、雇用規制の修復に取り組めば、必ず企業の力も向上する。ネックになるのは高額の役員報酬と株主配当、使う当ても無く溜め込まれる内部留保だ。

2010年7月 5日 (月)

「改正臓器移植法」別名「困窮者殺人許可法」が今月全面施行される

 昨年の7月、ろくな議論も経ずに、人の生き死にを公権力が勝手に決める改正臓器移植法が、政権交代前のどさくさに紛れて成立した。

 脳死は臓器移植に限って人の死と認められていたのが、全般的に脳死が人の死とされる。

本人の臓器提供の意思表示がなくても、家族が承諾すれば臓器提供が可能となり、しかも15歳未満の子供からの臓器提供も可能となる。

 この時のマスコミの論調は、移植を受けられない幼子を救え、というお涙頂戴のキャンペーンに塗りつぶされた。一方で医療費の削減のため、長期の寝たきり患者の病院からの追い出しが横行し、介護難民という言葉ができた。健康保険料を支払えない困窮者を容赦なく医療サービスから排除した。徹底的に困窮者の命を軽んじ、自己責任の下に死に追いやっているくせに、他方で、幼子の命の尊さを高らかに謳いあげる欺瞞性には吐き気を覚えた。

 

 確か、この法案採決直前のTVタックルに河野太郎が出演し、三宅なにがしという禿げじじいと一緒に、鬼のような形相で、真っ赤になって、禿は青筋立てて、「これ以上子供を殺すのか!」とカメラを睨みつけて怒鳴りつけているのを見て、「ああ、この河野太郎という男、自分の父親に生体肝移植をしたことが、悔しくってしょうがないんだな」とつくづく思った。

「自分のように血筋の良い政治エリートが、なぜ、危険を伴う外科的侵襲を受け、健康を危機にさらさなければいけないのか。体面を取り繕うために、孝行息子を演じるために、こんな痛い目に遭うのはまっぴらごめんだ。こんな役回り、貧乏人の役立たずに任せておけば良いんだ。」という、河野太郎の魂の叫びが僕には聞こえたような気がした。

政権交代が起こり、少しは弱者に対する国の姿勢も変わることを期待した。確かに子供のいる世帯へは健康保険証が発行された。診療報酬が10年ぶりに全体で0・19%引き上げられた。しかし、それ以外は?何も変わらなかった。相変わらず、労働規制の修復は行われていない。家族共働きでのかつかつの生活が、片方の病で崩壊する例など掃いて捨てるほどある。

貧困のストレスと、仕事のかけもちで健康を害する人は、僕の体感でも、大変多い。この若さで脳梗塞?という方も結構いる。貧困層の健康リサーチをすれば恐ろしい結果が得られるかもしれない。

医療費が無料で、病院から追い出されることもなく、雇用やセイフティーネットがしっかりしていれば、家族の突然の事故や病気での不幸に直面しても、取り乱した心を慰撫する時間が与えられるだろう。体は温かくとも、人口呼吸器につながれ、全く意思の疎通のかなわない家族。その暖かい手をさすり、涙に暮れながらも、過去の様々な追憶をたどり、その死をゆっくりと受け入れることができるかもしれない。

しかし、現状は次の記事からもうかがい知ることができる。

経済的理由で治療中止、約4割の医療機関で 20100617 キャリアブレイン

以下引用

「またこの半年間に、医療費負担を理由に患者から検査や治療、投薬を断られたことがある医療機関は42.9%だった。施設別では医科診療所が46.1%、病院が43.1%で、歯科診療所の38.5%に比べ医科医療機関で多かった。竹崎三立副会長は「医科では、慢性疾患で継続して受診していると、簡単には治療を中断できない。しかし、1か月分の薬を3か月かけて飲み切るなどして受診を控えたり、必要な検査を断ったりする例は歯科よりも多い」と説明している。」引用終わり

また、アメリカでの移植医療現場では間違いなく保険加入ができない貧困層がドナーとなる割合が高い。

晴耕雨読2009/6/28米国では、医療保険なしが最大の臓器提供要因 ドナーの16.9%が無保険 北東部の病院も危険」 参照

生活に追われ、医療費の負担、介護の負担に苛まれ、重度障害者への保障制度も知らされること無く、まして雇用保険や年金にもろくに加入していない職場で働く人々が、医師の脳死判定の勧誘を拒絶することができるだろうか。

新法には脳死判定を拒絶する権利が担保されていると言うが、困窮者にとって、その権利などまさに絵に描いた餅ではないのか。

臓器移植法、「改正の内容を知らない」40%2010630  読売新聞)

改正の内容どころか、脳死と自発呼吸のある植物状態との区別がつかない人もたくさんいる。何が行われているかに無関心な国民は、運悪く不幸な事態に直面したときに始めてそのおぞましさを知る。

 この法案の施行により、救われた命についてのおめでたい記事はマスコミにあふれかえるだろう。だが、困窮者の苦渋の決断、自らの魂や良心を縊り殺す恐ろしい決断には、非難の眼差し以外は、一切目が向けられることは無いだろう。

2010年7月 4日 (日)

大相撲賭博問題。横綱白鵬が花札賭博?だからなんだというのだ。2~3年後には文科省所管の相撲くじ、野球くじが売られているかもしれない。

 横綱白鵬が花札賭博をしていたそうである。だからなんだというのだ。いつから日本は清廉潔白、品行方正な模範国になったのだ。公営ギャンブルや合法金融賭博が猖獗を極めるこの日本で、この世界で、なにをぬけぬけと正義漢面して私人ばかりを糾弾しているのだ。公権力が食い物にしている合法賭博には何の疑問も感じないのか。それとも、こんなことをニュースにする奴らはパチンコも、競馬も、株取引も、賭けマージャンも、ゴルフの握りもやったことの無い、糞面白くも無い、品行方正、謹厳実直な模範市民だとでも言うのか。

 

 そんなことより、ますます怪しい事実が明らかになってきたぞ。

「毒蛇山荘日記」さんより

「「大相撲野球賭博事件」調査会座長・伊藤滋の正体ーーパチンコ関連団体「」の理事長。なるほど、警察公認の公営賭博(パチンコ)の奨励者だったわけか。しかもこの団体? 警察の天下りの巣窟らしい。大相撲賭博事件を裁けるような人間ではないだろう。」

 闇の勢力との手打ちのため、ヤメ検大物の理事代行就任。検察の子分、警察官僚天下りの巣窟、いわずとしれたパチンコ関連団体。この魔窟の理事長をやっているという伊藤滋の「大相撲野球賭博事件」調査会座長就任。こうくれば文部科学省が画策していることも予想できるというものである。

日本の公営ギャンブルのそれぞれの監督官庁(ウィキペディア賭博参照) 

競馬:農林水産省 

競艇:国土交通省 

競輪:経済産業省 

オートレース:経済産業省 

スポーツ振興くじ:文部科学省 

宝くじ:総務省

サッカー賭博の元締め、監督官庁は文部科学省だ。

相撲取りの野球賭博が問題になっているが、相撲自体の八百長疑惑がいつも浮いては消える。相撲が対象になった賭博も当然行われているのだろう。

反社会勢力の排除、健全なスポーツの振興を名目に、スポーツ振興くじを所管する文部科学省が相撲、野球の賭博の合法化を画策し、食い物にすることは充分考えられる。日本人の白痴化推進担当文部官僚とヤクザよりも悪質な犯罪組織、警察、検察官僚の天下り先拡大のため、闇勢力と手打ちをして、23年後には相撲くじ、野球くじが賑々しく、コンビニの端末で売られているのかもしれない。

2010年7月 3日 (土)

口蹄疫は早く終息に向かって欲しい。テレビ朝日池上彰の学べるニュース【そうだったのか!口蹄疫】に難癖をつける。

口蹄疫の非常事態がようやく一部解除へ向かうようだ。早く終息に向かうことを心より祈りたい。

以下引用

口蹄疫:27万頭処分終了 宮崎県、非常事態一部解除へ

「宮崎県の口蹄疫(こうていえき)問題で、ワクチン接種を受けた家畜の殺処分と埋却作業が30日、すべて完了した。24日には感染または疑いが確認された家畜19万9293頭の処分が終わっており、殺処分された家畜の合計は27万6049頭に達した。

県内では18日の291例目を最後に新たな発生はなく、県は不要不急の外出やイベント自粛などを求めた非常事態宣言の一部を1日にも解除する。今後は復興に向けた取り組みが本格化する。

また、県は30日、国内最大級の畜産地・都城市で、発生農場から半径3~10キロの1254農場を対象にした家畜の目視検査が終了し、異常がなかったことを明らかにした。鹿児島県の一部を含む移動・搬出制限区域は7月2日午前0時に解除される。このまま新たな疑い例が出なければ、16日に県内全域で移動・搬出制限が解除される見通し。

東国原英夫知事は「今一度気を引き締めていただき、一日も早い終息と復興を実現したい」とコメントした。【木元六男、川上珠実】」毎日新聞 201071日 東京朝刊

引用終わり

復興においては大きな農場で雇用されていた方々に対する配慮も是非示してもらいたいと思う。非正規雇用の方々がどのような苦難を受けているのかがずっと気になっている。

 先日、630日、タイトルに惹かれテレビ朝日池上彰の学べるニュース【そうだったのか!口蹄疫】を見た。なかなか解りやすくまとめられていたが、いくつか気になることがあった。僕としては、以前のエントリーで調べた事実や推論をまとめ、いくつか、難癖をつけておきたい。

まず、615日エントリー「宮崎県口蹄疫拡大。官僚クーデターの疑惑は深まる。」を纏めると次のようになる。

口蹄疫患畜および擬似患畜の大量殺処分の理由として、「口蹄疫の蔓延による家畜の経済価値の減少」が挙げられる。しかし、口蹄疫非清浄国である中国の豚肉生産高は世界トップであり、牛肉もオーストラリアを抜いて政界第四位の生産高を誇ることから口蹄疫が畜産の壊滅につながるとは言いがたい。

それでは、なぜ大量殺処分が必要かといえば、OIEの「皆殺し政策」(stamping-out policy)や口蹄疫清浄国認定の基準に沿った形で清浄国復帰が必要だからである。

しかし、調べてみるとOIEの口蹄疫清浄国には4つのカテゴリーがある。例えばオーストラリアやアメリカは「緊急時以外ワクチン接種をしていない清浄国」であり、日本もこのカテゴリー復帰をもくろんでいる。

だが、そのほかのカテゴリーとして、世界でも有数の牛の産地アルゼンチン、ブラジルの特定の地域が「緊急時以外ワクチン接種をしていない清浄地域」として認められている。

ワクチン接種をしている清浄国としてはウルグアイのみだがワクチン接種をしている清浄地域はアルゼンチン、ブラジルのより多くの地域が認定されている。

 日本が「緊急時以外ワクチン接種をしていない清浄国」に固執するのは、他のカテゴリーの清浄国からの輸入圧力を阻止するためではないか。

 何よりも、アメリカからの牛肉輸入を優先するからではないのか。

 それは、OIEBSE清浄国リストを確認し、日本の牛肉輸入量の推移を見ればはっきりする。牛肉については08年から09年にかけてBSE汚染国アメリカからの輸入が顕著に増加、逆にBSE清浄国であるオーストラリアからの輸入は減っている。オーストラリアに比べ100g単価はアメリカの方が高いにもかかわらずだ。

 しかも、BSE清浄国アルゼンチン、ウルグアイは口蹄疫清浄国のカテゴリーに入るのに輸入はゼロだ。

結果、日本の農水省はアメリカ産牛肉を輸入し続けるため、「緊急時以外ワクチン接種をしていない清浄国」に復帰しなければならい。そのために、宮崎口蹄疫問題では初動を誤ったことを隠蔽しつつ、大量殺処分に突っ走っている。しかも、そのことは現実に殺処分を受け入れる畜産農家はもとより、宮崎県、内閣や国民にも知らされていない。まさしく、官僚の暴走であり、民主党内閣へのクーデターではないかとの結論を導いた。

以上の見地から「池上彰の学べるニュース【そうだったのか!口蹄疫】」を見てみる。

評価できるのは日本がなぜ口蹄疫清浄国に固執するのかまで踏み込んでいたことだ。OIE、国際獣疫事務局の存在に触れ、OIEが口蹄疫清浄国の認定をしていること、日本が口蹄疫汚染国になると清浄国以外からの輸入圧力が高まるということにきちんと触れていたことは評価できる。

 しかし、まず、大量殺処分の必要性は口蹄疫の蔓延による家畜の経済価値の減少に求めていたことが問題となる。

それ故、大量殺処分の必要性とOIEの「皆殺し政策」(stamping-out policy)や口蹄疫清浄国認定との関連は完全に無視せざるを得ない。

また、OIEの口蹄疫清浄国のカテゴリーを曖昧にし、ワクチン接種をしていない清浄国のみが清浄国であるという誤解を与えていたことも問題である。その他のカテゴリーの国は「良くわからない国」と一くくりにして、他のカテゴリーの国からの輸入圧力を、「汚染国」からの輸入圧力と誤解させる表現が含まれていた。

従って、OIEには清浄国のカテゴリーが一つしかなく、その他の国は汚染国であり、口蹄疫の蔓延は日本畜産の大打撃になるので、輸入は許されないとの誤った先入観を視聴者に与えた恐れがある。今のうちから他カテゴリー清浄国からの輸入に対する恐怖を植えつけようとしている、と見るのは穿ちすぎか。

そして、当然のことながら、人には感染しないといわれている口蹄疫と人に重篤な結果を生じさせるBSEの汚染国との対比などは全然無かった。なぜBSE汚染国、米国からの、しかも割高な牛肉の輸入が増え、BSE清浄国、オーストラリアからのしかも割安な牛肉の輸出が減っているのかという疑問に応える視点は全く無かった。BSE清浄国であるアルゼンチン、ウルグアイからの牛肉輸入がゼロだということも、当然のことながら、全く触れられなかった。

まあ、そんなことをマスコミに要求する方が無理なのかもしれない。しかし、まだましと思われる番組でも、この程度なんだなということは意識しておいた方が良いだろう。

2010年7月 2日 (金)

枝野幹事長、小沢氏への「大衆迎合」発言、菅総理「消費税全額還付」発言。この国の辞書に新たな言葉が付け加えられた。わが国の総理は「菅言を弄する卑劣菅」

「国民との約束は守るべきだ」との小沢氏の言葉を、大衆迎合と唾棄して、恬として恥じることの無い枝葉末節野幹事長。枝葉末節担当大臣として、予算の下流の枝葉末節を、犬のウンコを枝葉でいじくり廻すガキのように、いじましく突付き廻した事業仕分け。

だが、国民との約束を、とにもかくにも守った。だからこそ、妬み嫉みに心を焦がす衆愚の香ばしい下品さがあるとはいえ、大衆が喝采を浴びせたのではではなかったか。それで幹事長という要職をせしめたのではなかったか。

どの面下げていけしゃあしゃあ、抜けぬけとそんな台詞を吐けるのか。ああ、あの薄汚い下品な面で、か。愚かな大衆など有象無象、俺たちゃエリート黙って言うことを聞けってか。思っていることは官僚そのもの、随分偉くなったものだ。

菅総理は、うつむきながら、後ろめたくも絶叫する。

「消費税といっても、衆愚の皆さん!年収200万円とか300万円とか少ない人、もとい年収300万とか350万円以下の人、もとい年収300万、400万以下の人には全額還付することだって私にはできるんです。どーです、衆愚の皆さん!!」

馬鹿にするのも大概にしろ。国民全てが衆愚だと思ったら大間違いだ。これを大衆迎合と言わずして何と言えば良いのか。

どうやら、大衆迎合という言葉の意味がころっと変わったようだ。民主党の大幹事長、枝葉末節野幹事長によると「国民との約束を守る」というのが大衆迎合の意味らしい。

それでは、「国民との約束を破り、甘言を弄して韜晦し、できもしない大法螺を吹き、選挙が終われば前言を翻すこと」を、これからは大衆迎合とは言わず「菅言を弄する」と、厳かに、謹んで、言わせていただこう。

大嘘つきの三百代言。

大風呂敷を広げて丸め込もうとする詐欺師。

コロコロと言うことの変わる無定見な恥知らず。

国民を騙まし討ちにしても屁とも思わない卑怯者。

うつむきながら目を泳がせながら言葉を発する、後ろ暗い挙動不審者。

官僚に手玉に取られて舞い上がる破廉恥野郎。

自分が国政を動かしていると本気で思い込む誇大妄想狂。

甘い言葉で誘惑すれば誰もが騙されると信じ込む反吐の出そうなナルシスト。

市民派を気取った腐れ全共闘の成れの果て。

庶民の困窮など想像だにできないサイコパス野郎。

かっこばっかりつけてる空っぽの木偶人形。

などなど、これら全てに怒りぶち込んで、わが皇国の総理を、敬意を込めて、うやうやしく「菅言を弄する卑劣菅」と呼ばせていただこう。

民主党の閣僚ども、日に日に下品な凶相面に変わっているぞ。

2010年7月 1日 (木)

行政の見事なサボタージュの見本。地デジ無償配布の申し込み延期。

地デジのどたばた劇

以下引用

地上デジタル放送:チューナー配布、締め切り延長

 ◇「今年度124万世帯」計画 申請わずか19万

 総務省は28日、生活保護受給世帯などに地上デジタル放送用簡易チューナーを無償配布する支援事業の申請締め切りを、当初の7月2日までから12月末までに延期する方針を決めた。今年度124万世帯へ配布を計画していたが、5月末時点の申請が19万世帯にとどまっているため。

 支援対象はNHK受信料全額免除で、▽生活保護などの公的扶助を受けている▽障害者と同居し、世帯全員が市町村民税非課税▽社会福祉施設に入居している--のいずれかの世帯。チューナーの配布のほか、必要な場合はアンテナも無償改修する。申請が少数にとどまるのは、総務省が該当世帯の居住先を把握できず、市町村や障害者団体などを通して間接的に呼びかけるほかなく、周知が進まないため。総務省は昨年度も募集期間を当初の昨年末から今年2月まで2カ月間延長している。問い合わせは、総務省地デジチューナー支援実施センター(0570・033840)。【望月麻紀】

毎日新聞 2010629日 東京朝刊

引用終わり

 生活保護受給者に対してNHK受信料全額免除が可能だと周知する姿勢がそもそも自治体にはない。なぜかと問うと、保護費からやりくりをして、受信料を払うかそれとも全額免除を選ぶかはその人の選択に委ねたいからだという。まことにもっともらしい言い訳だが、全額免除が可能だとの選択肢を知らせることも無く、選択の自由を尊重するというのは行政が良く使う屁理屈だ。そして、隠蔽にこれ努めている選択肢を全力で探索する努力を怠たり不利益を被るのは、その人の努力不足、自己責任ということだ。

 NHKは、もちろん生活保護受給者だろうが誰だろうが、受信料を取り立てたい。やっとのことで住まいを決めると、どこから情報が流れるのかすぐにNHKがやってくる。そして、気の弱い人は唯々諾々と受信料を払うことになる。

行政側はNHKの営業の自由をとことん尊重したいらしい。保護受給者の生存権、財産権よりもNHKの営業の自由が優先。まことに最高裁判例にそったご立派な態度だ。

地デジチューナ無料配布を受けたい生活保護受給者はまずNHKに受信料全額免除の申請をしなければならない。NHKから申請用紙をもらい、自治体窓口から保護受給の証明をもらい、NHKに再び申請。その申請が通ると、今度は保護申請とは別の窓口の奥の戸棚に封も切らずにどっさりと溜まっている地デジチューナー申請書を求めての行政窓口を訪ね歩かなければならない。典型的なたらい回しだ。ようやく申請用紙を発見し、今度は総務省へ送ることになる。

「総務省が該当世帯の居住先を把握できず、市町村や障害者団体などを通して間接的に呼びかけるほかなく、周知が進まないため。」というが、この結果は地方自治体の見事なサボタージュの連携に他ならない。そして、なぜこんなことになるかというと、ナショナルミニマムを権利として国民に保障するという姿勢が国にも無いからだ。自業自得である。

地デジは進めたいが、その本当の理由は隠しておきたい。だから毎日テレビをつければ国民への恫喝のオンパレードだ。そして、チューナーの無料配布は、国も地方も、行政権力は本当はやりたくない。国民の権利を明確化することは極力避けたい。だが本音もはっきりとは言いたくない。それで問題の先送り、申し込み締め切りの延長。万事が万事、典型的な行政権力の性質の悪さがこんなところにも如実に現れている。

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