「世間一般の常識」と会計管理実務担当者の常識との甚だしい乖離。朝日新聞はせめて売文屋としての本分を思い出したほうが良いのでは。検察審査会をよいしょする提灯記事を哂う。
朝日新聞が「千ページの証拠資料・条文勉強…検察審査会の経験者証言(1/3ページ)2010年7月22日3時1分」という特集記事を出している。
なぜ、小沢氏に対する議決をした者達を中心にしていないのか。「鳩山氏とは別の政治家を審査した市民」などとぼかした表現を使うのはなぜか。なぜ鳩山なのか。
当然、検察のお許しが出たケースの取材なのだろう。だから、検察審査会をよいしょする提灯記事しか書けないのだろう。
いろいろ突っ込みどころがあるが、今日は一点だけ。
以下記事抜粋
「会計責任者の選任と監督の両方の注意を怠った場合にしか政治家の責任を問えない規正法の規定について、「政治家に都合のよい規定だ。監督責任だけで会社の上司が責任を取らされている世間一般の常識に合わない」と、法改正を促す指摘も盛り込んだ。」
抜粋終わり
「監督責任だけで会社の上司が責任を取らされている世間一般の常識」とは会計実務管理者を経験した者との常識に比べれば、とんでもない非常識である。
会社の会計実務の要諦は、外部に対しては適切なIRを公表すること、そしてより重要なのは国税対策である。
内部に対しては、売掛金の不良債権化防止と従業員による金銭横領の防止である。
そして、社内の懲罰委員会で処分を受けるのは、会社に実際の金銭的損害を与えた場合であり、それ以外は人事評価で調整が図られるのが一般的だ。少なくとも僕の経験では。それとも、人事評価が刑事処分に匹敵するというのが「世間一般の常識」だとでもいうのだろうか。
会計実務担当者が発生主義に基づく仕訳を行わずに期づれのある処理を行ったとする。会計管理責任者の腕の見せ所はその一つの仕訳の背後に横領の隠蔽、もしくは売掛金未回収の事実の隠蔽が無いかを見破ることだ。
しかし、直接の証拠も無く現実に損害も発生していないのに、期づれのある仕訳を行ったことのみを問題にして、会計担当者を懲罰委員会にかけたりはしない。まして会計管理責任者や箇所統括責任者がその責任を問われて懲罰委員会にかけられることなど絶対に無い。それどころか、その一つのミスをあげつらって担当者の人事考課を不当に低く行うことも、まともな管理者ならばやらないだろう。それが社会人の常識というものである。
会計担当者の横領の事実や売掛金の回収不能が発覚した場合は、それを漫然と見過ごしていた会計管理責任者や箇所統括責任者の責任が問われる。しかし、損害額の多寡、見過ごした場合の管理の態様などをきちんと調べてから、あまりにも酷い場合のみ管理者の責任が懲罰委員会で問われることになる。
もちろん横領の場合はその額が多額で回収の見込みも無く、悪質な場合は当事者の懲戒処分はもとより刑事告発をする場合もある。しかし、ほとんどの場合、外聞を慮って刑事告発をすることは無い。まして、管理責任者が共謀の疑いをかけられ懲罰委員会にかけられたり、刑事告発されたりしたことなど聞いたことが無い。もしありうるとすれば、管理者が担当者に命令を下し、その権限によって強制的にやらせたことを、事実をもって証明しなければ話にならない。疑いだけで管理者や統括者を処分するなど、一般企業での常識からはありえない。
刑事処分というのは随分安易で軽いものなのだろう。一般企業では処分を下すという行為については極めて慎重であり、注意深く事実を探るのが常識である。
会計担当者が期づれの会計仕訳を行った。これを見つけた社内監査委員が鬼の首を取ったように、この裏には絶対に何かがあるに違いないと強弁して担当者のみならず会計責任者、統括責任者を懲罰委員会に引きずり出す。これは、はたから見れば、社内監査委員が何らかの別の思惑をもち、会計責任者や統括責任者を陥れようとしている、と見るのが一般企業に勤める者の常識であろう。
「監督責任だけで会社の上司が責任を取らされている世間一般の常識」とはマスコミが捏造し、会社での管理実務を知らない、会社における「処分」と普通の人事評価の区別もつかない「善良なる市民」が刷り込まれた非常識である。
だいだい、会社で取らされる責任と、刑事責任とを同一視しているところに、刑事司法の原則や憲法理念を全く理解していない「善良なる市民」の面目躍如たるものがある。
マスコミが実務とは遊離した「世間の常識」をでっち上げる。この捏造された「世間の常識」を無批判に鵜呑みにするのが「善良なる市民」。その「善良なる市民」から、一般企業の常識、本当の世間常識から遊離した高給エリート記者が、捏造された「世間の常識」を取材してそれを記事にする。世間の常識からは隔絶したマスコミの非「常識」が、ぐるぐる回り、恥ずかしげも無く、醜い円舞曲を踊っているわけである。
それとも、事実の確認もせずに懲罰を乱発するほどに今の企業社会は腐ってしまっているのか。首切りのために懲戒事実をでっち上げて処分を乱発しているのか。もしそれが実態だとしたら、その実態こそが問題にされるべきであろう。にもかかわらず、その実態に合わせて政治家への刑罰権発動を容認するならば、まさに、今の日本は無法、無秩序の非常識な世界だといわざるを得ない。
しかし、朝日新聞もとことん落ちたものだ。
高校時代に現代国語の先生が
「朝日新聞の天声人語を毎日200字にまとめて持ってくれば添削してあげる。半年も続ければすごく力がつくよ」
と言ったので、愚直にその言葉を真に受け半年続けたら本当に現国の成績は見る見るあがった。
毎日続けることができたのは、天使人語の内容が面白かったからだ。思春期の反抗期に諧謔や皮肉を交えた体制批判のコラムはなかなか刺激的だった覚えがある。
社会人になってからもすぐに朝日新聞は購読した。転勤のたびにすぐに朝日新聞の販売店に購読を申し込んだ。
そして、昨年、二十数年、高校、大学時代を入れれば三十年近く続いた朝日新聞の購読を止めた。
小泉政権下でも何とか我慢していたが、政権交代後、少しはましになるかとの期待も見事に裏切られたわけだ。
僕は「善良なる市民」であることを止めた。
新聞社の販売アイテムは一つだけだ。従ってこの商品に対する顧客のロイヤルティーは、少なくとも、数年から十数年のスパンにおける継続率で測るべきだろう。パレートの法則を商売の経験則に応用?した二八(にっぱち)の原理で分析するとどうなるだろうか。その期間における、販売店経由で定期購読している読者の販売総額。その8割は2割の長期継続読者によって支えられているかもしれない。まあ、旧態依然の販売店制度をとり、押し紙までやっている可能性があるのだから、そんな顧客データを完備しているとは到底思えないが。
僕自身はかなりロイヤルティーの高い優良顧客だったはずだ。しかし、朝日新聞のマーケティングはその有力顧客を切り捨てたわけである。
「ビジネスにおいて、売上の8割は全顧客の2割が生み出している。よって売上を伸ばすには顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、2割の顧客に的を絞ったサービスを行う方が効率的である。」(ウイキペディア パレートの法則参照)という二八(にっぱち)の原理の真逆を行き、優良顧客2割のかなりの部分を失ったのではないのか。
ロイヤルティーの高い優良顧客をないがしろにし、新たな顧客層に参入しようとしても、読売、産経がその読者層をしっかりと押さえている。結局、優良顧客離れを起こす記事編集によって、新たな顧客を獲得することもできず、事業ドメインは茫洋として「Vの谷間」に落ち込むことになる。典型的な企業没落の道筋である。
広告費を出すスポンサー企業の思惑に従ったのか。しかし、購読部数を減らせば、足元を見られてもっと広告費は叩かれる。随分とお人好しな経営戦略だ。
そして、その結果が2年連続の赤字転落に現れている。対策としては正社員給与の削減、非正規雇用の拡大、経費の削減、印刷業者、輸送業者、販売店たたきという、リストラ路線だろう。どんどん企業の活力は失われてゆく。
検察審査会を無批判におだて挙げる社説および、その社説や検察審査会に阿るような提灯記事はまさに傑作である。
論説委員だか編集委員だかよく知らないが、売文屋としての役割は売れる商品を造ることであろう。その売文屋どもが、その自らの商品づくりにおいても無能であり、売れる紙面を編集し経営に寄与するという場面においても役立たずということが如実に現れている。せめて社説くらい署名記事にしたらどうか。恥ずかしすぎてできないのか。
別に社会の木鐸たれとか、ジャーナリズム精神を忘れるな、などという法外な高望みなどはもうしない。せめて、売文屋どもは、まともな商売人として、そこらの書店でマーケティングの入門書でも買って勉強してはいかがか。せめて、「この商品が売れないのは消費者が馬鹿だからだ」と嘯いてふんぞり返っている、間抜けな己の非常識を認識し、世間の常識に沿った売文に精を出してはどうか。売文屋の本分に戻れば、捏造された非常識を社会に垂れ流す害毒も少しは軽減されると思うのだが。
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