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2010年7月23日 (金)

以前の僕もそうだった、「善良なる市民」の正体。1.立憲主義を理解し「下から目線」を獲得した経緯。小泉純一郎様様。

僕が市民運動なるものに参加したのは91年の湾岸戦争の時だ。僕はもちろん、憲法9条を守るべきだと思っていた。ただ単純にそう思っていた。9条を無視する輩は全て悪、自分は正義だと思っていた。
 犯罪者を捕まえ、罰する警察、検察は善であり正義。しかし、僕の経験からすると、警察はいつでも善・正義というわけでもない。デモに参加して、公安の行確がついたこともある。デモになだれ込んだ機動隊が転び公妨で仲間を逮捕したこともある。この場合、警察は敵であり悪だった。
 自然保護運動で地権者を吊るし上げるのも、役人を吊るし上げるのも同じこと、奴らは悪であり不正義だった。
 市民運動に参加しているのは何をしているのかわからない自由業の人やガッコのセンコや公務員がほとんどだった。そんな人々にとって僕は時に悪であり不正義だった。「資本のイヌ」とののしられたことがある。僕が一般企業に勤めていたからだ。

 多分あの頃の僕ならば、今の警察、検察のありかたに対して疑問を持たなかったかもしれない。裁判員制度も検察審査会制度も「市民の目線」が大事だと肯定していたかもしれない。

要するに、その場面場面で私人、公人、警察、検察の区別無く単純な善悪の対立に括って善・正義の立場に立って物事を見ていたわけである。

しかし、この善悪二項対立の一次元的な見方に強烈な違和感を感じることが出てきた。
元首相小泉の発言である。
 小泉は首相として何度も靖国神社を参拝し、2003年12月9日にはイラク派兵の口実によりにもよって憲法前文を引き合いに出していた。とにかくやることなすこと胡散臭かったので僕は絶対に善・正義とみなすことはできなかった。自分のなかで、小泉は絶対に悪だとの確信はあったし、この点については自分の正当性に確信を持っていた。
しかし、小泉の小気味の良い言葉につい引きずられてしまう自分もいた。一つ一つの発言を是々非々で判断すればよいのか?しかし、どんな発言をしても小泉を善・正義とみなすことへの絶対的な拒絶感は揺るがなかった。この、自分の分裂してしまう気持ちがいつも僕の心に引っかかっていた。

この気持ちのわだかまりにはずっと引っかかっていた。これを解決するきっかけとなったのが、2005年10月19日の党首討論で「思想および良心の自由は、これを侵してはならないと憲法19条に規定されている。総理大臣である小泉純一郎が一国民として参拝する。」とまたまた、よりにも依って自分の正当化に憲法を利用した発言だった。
 怒り心頭ではあったが、そのとき僕はこの正当化を批判することができなかった。小泉の靖国参拝は違憲だ、と僕は善・正義の立場から非難するのだが、小泉は「俺も一国民、なぜ俺の思想および良心の自由は保障されないのか」と僕を非難するわけである。新聞の記事を見ても納得できる批判は見当たらなかった。

僕は立憲主義を知らなかったのだ。

くよくよ、くどくど考え続けてようやく気がついた。
小泉の思想良心の自由はもちろん保障される。しかし、問題なのは、小泉はその「思想良心」に従い、「その思いを現実化する力」つまり強力な国家権力を持っているのである。小泉は法案提出、予算案提出、政策実施によってその思いを現実化した。また、現実化する可能性がある。
憲法の前文を自分流に解釈する。僕が勝手に憲法を自分流に解釈しても世の中は何も変わらない。しかし、小泉が自分の「思想良心」に従い解釈すれば、その「思いを現実化する力」、公権力によって自衛隊のイラク派兵が現実化する。
小泉は多くの有権者によって国会議員に選出され、総裁選によって首相に選出された。つまり小泉の「思い」、「思想良心」は多数の支持を得ている。多数決の原理に従えば小泉がその思いを現実化することに何の問題も無いように見える。そして実際に多くの「思い」を現実化した。国民生活は徹底的に破壊された。小泉の思いを現実化させる行為を禁止する根本規範があるにもかかわらずだ。それが「公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」日本国憲法だ。
だから、小泉が悪か善か不正義か正義かという一次元の価値判断は意味を持たない。
公権力を行使する者、小泉の権力行為が憲法の規範に従っているかという評価で判断されなければいけなかったのである。
小泉政権のおかげで、公権力を行使される側から、その行使に対して、憲法を根拠とした監視、批判という上向きのベクトルの視点、「下から目線」が重要だということにようやく気づいた。善・正義vs悪・不正義という一次元的な判断ではなく、私人間のいざこざにたいする善悪の判断と共に、そこに関わる公権力の行使、不行使に対する憲法に基づく善悪の判断、この二つの判断を兼ね備えた二次元的な判断基準こそが重要だと、ようやく気づいたのである。

この点が理解できて僕の憲法理解はずっと深まった。まったく小泉様様である。
 
この観点が理解できれば小泉政権以降の自公政権下での数々の失言問題にたいする批判がいかに表面的なものだったのかも理解できる。
柳沢元厚労大臣の「女は産む機械」発言。例えば僕がこの発言をしたとしても知り合いの女性達にボコられ、道義的、倫理的に非難されてそれで終わりである。しかし、柳沢の発言はこのような倫理的、道義的に非難されるだけでは終わらない。柳沢厚労大臣はその「思いを現実化する力」権力を持っている。柳沢の政策立案、実施にその思いがどのように反映され、それが男女平等を定めた憲法の観点からどのように批判されるべきかが問われなければならなかった。そして多くの失言問題がマスメディアによってこの観点から明確に批判されることは無かった。
当時航空幕僚長を務めていた田母神の論文や発言が政府見解と違っているということで問題になった。しかし、田母神がその思いを現実化するために、自分の地位と権限を利用し何を実行したか、何を実現することが可能だったのかということこそ問われなければならなかったのである。

齢40を超えてようやく気づいた立憲主義の意義、「下から目線」の大切さ。僕が世界を見る目は大きく変わった。これは喜ばしいことだった。

しかし、なぜこのような大事なことに気づくために長い長い時間がかかったのだろうか。本来ならばもっともっと若い頃からこのようなものの見方ができれば、人生はずっと違ったものになっていたかもしれない。このような「下から目線」を多くの人々が共有すれば日本という国はもっともっと違っていたかもしれない。なぜ・・・?

その理由には教育とメディアの情報が大きく関っていることに気がついた。
(つづく)

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